石川達三「青春の蹉跌」

 生きることは闘争だ。たった一度しかない自分の人生を悲惨なものにしたくない。どのような幸福を選んだところで俺の自由だ。江藤賢一郎の計算はすべて将来に向かっていた。大橋登美子などへは詐術に対する罪の意識より、自分自身への反省がつのった。司法試験に合格して社長令嬢の康子と結婚し、支配階級の一人としての名誉を得る。それまではあらゆる屈辱に耐える覚悟であった。 

青春の蹉跌 (新潮文庫)

青春の蹉跌 (新潮文庫)

 「社会」へ出ようとする野心的な大学生が、自分の現状を分析し、激しく戦うために、まずディフェンスを固めようとします。江藤賢一郎は他人をさめた目で眺めながら、自己の利益を拡大するためにあらゆる策を弄します。彼は「成績抜群、しかし、専攻以外は無知であり、人格的人道的にも未発達」(背表紙より抜粋)という人間です。要領が良くて成績が良い人間が成功するのが「社会」であり、裏で何を考えていても面接官には見抜けません。彼の目の前には当然のように、出世コースが開かれますが・・・。現代にも通じる主題が、努めて冷静かつ分析的な文体で描かれます。
 面白く感じたのは、自分と同等ないしは優れた人物が、脱落するのを横目にしたときの主人公の気持ちです。理想論を貫いた挙句に転落して冴えない生活を送るよりも、学生時代の語らいなど所詮理想であり、ある程度妥協してまず実を取るべきというリアリスティックなものです。ここには「個性」を主張しながらも安定した就職先を望む、無自覚に保守的な近年の大学生の志向をも見ることが出来るように思います。1971年も2008年も同じようで・・・。
 試験の成績が良い「だけ」なのに自分をエリートとして優越の座に据える主人公に対して、作者は「人間としての未熟さ」を節々で述べて痛快です。しかし、出身大学の名前でその後の人生が決定されるという硬直したシステムは(これもまた)現代にも残っており・・・それどころか、ますます尊重されているようですが、しかし、そのトップとされる人間たち(官僚)がこれまで何を生んできたのかとなると、世界における日本の現在の位置の下降っぷりがその答えとなるのでしょう。いずれにせよ、理想を貫くために社会の凝り固まった仕組みの方を変えてやろうと努力する奇妙な人間は少ないようであり、そっち側に立ちたいと思う私でした。

 自分の未完成や、自分の世間知らずがわかっているだけに、自分をあからさまに知られることに自信がなかった。同じ未完成の友達同士ならば、何を知られてもかまわない。しかしはるかに完成度の高い大人たちに対しては、秘密を守っておきたかった。それは一種の警戒心であり、自衛的な心理でもあった。