石川達三「青春の蹉跌」
生きることは闘争だ。たった一度しかない自分の人生を悲惨なものにしたくない。どのような幸福を選んだところで俺の自由だ。江藤賢一郎の計算はすべて将来に向かっていた。大橋登美子などへは詐術に対する罪の意識より、自分自身への反省がつのった。司法試験に合格して社長令嬢の康子と結婚し、支配階級の一人としての名誉を得る。それまではあらゆる屈辱に耐える覚悟であった。
- 作者: 石川達三
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1971/05/27
- メディア: 文庫
- 購入: 3人 クリック: 24回
- この商品を含むブログ (29件) を見る
面白く感じたのは、自分と同等ないしは優れた人物が、脱落するのを横目にしたときの主人公の気持ちです。理想論を貫いた挙句に転落して冴えない生活を送るよりも、学生時代の語らいなど所詮理想であり、ある程度妥協してまず実を取るべきというリアリスティックなものです。ここには「個性」を主張しながらも安定した就職先を望む、無自覚に保守的な近年の大学生の志向をも見ることが出来るように思います。1971年も2008年も同じようで・・・。
試験の成績が良い「だけ」なのに自分をエリートとして優越の座に据える主人公に対して、作者は「人間としての未熟さ」を節々で述べて痛快です。しかし、出身大学の名前でその後の人生が決定されるという硬直したシステムは(これもまた)現代にも残っており・・・それどころか、ますます尊重されているようですが、しかし、そのトップとされる人間たち(官僚)がこれまで何を生んできたのかとなると、世界における日本の現在の位置の下降っぷりがその答えとなるのでしょう。いずれにせよ、理想を貫くために社会の凝り固まった仕組みの方を変えてやろうと努力する奇妙な人間は少ないようであり、そっち側に立ちたいと思う私でした。
自分の未完成や、自分の世間知らずがわかっているだけに、自分をあからさまに知られることに自信がなかった。同じ未完成の友達同士ならば、何を知られてもかまわない。しかしはるかに完成度の高い大人たちに対しては、秘密を守っておきたかった。それは一種の警戒心であり、自衛的な心理でもあった。