武田泰淳「甘い商売」

 吉川冬次がサイパン島についたとき、N拓殖とM殖産の駐在員の出迎えはなく、集まってきたのは、痩せ衰えた日本人たちであった。夜になると宿舎の窓をこえて、奇妙な歌声が流れてくる。それは陰気で暗澹たるメロディだった。会社に対する怨みつらみ、やけくそな大声、哀れをさそう小声。自嘲の思いもまじっていた。「XXよく聴け、お前の末は、サイパンあたりで、のたれ死に」 やらなきゃならないと吉川は思った。彼らをどん底から救い出すためにも、失敗することだけはどうしてもできんぞ。

士魂商才 (岩波現代文庫)

士魂商才 (岩波現代文庫)

 大正末期のサイパン。2つの会社が本土から日本人を移民させ、砂糖事業を始めたが、いずれも失敗。しかし、会社は移民を引き上げさせることはせず、たった一人の社員を残して、すべて放ったらかしにしてしまう(なんて無茶な)。千人の日本人が、食糧の補給もなく栄養失調でやせ衰え、乞食なみの服装で餓死寸前・・・そこに単身乗り込んできたのが主人公。砂糖の技術者として有名な彼が独立して、サイパンで自らの会社を興します。現地に残された社員・八木を腹心として登用し、現地の労働者とともに様々な困難に立ち向かいます。文庫で20ページくらいと短いのすが、スケールが大きく、適度なアップダウンもあり、読みごたえのある作品となっています。
 仕事の失敗とフォローの欠如が、人間をひどく荒んだものにしてしまいました。暴動を起こすほどの元気もなく、彼らは完全に人生を諦めています。国へ帰る術もなく、生きる道も見えないので、宿舎の中で「お前の末は〜」と歌います。彼らは吉川の活躍により外気を吸いますが、穴倉に慣れてしまったのか、すぐにそこへと戻ってしまう。読者も彼らを思うと暗澹たる気持ちになりますが、しかし、主人公の吉川は明るいのです。うまく行っても行かなくても、ユーモアすらあります。この理由は単なる強がりか、それとも楽観的な自信なのか。その人間的魅力に引きつけられたからこそ、八木は最後の行動をとったのでしょう。私なら・・・どうかなぁ、出来るかなあ。「肉のロープ」の場面は、これぞ武田泰淳!といったところです。

「すると、彼らをひどい目に遭わせた、その同じ道だけが彼らを救えると言うわけですか」