2005-01-01から1ヶ月間の記事一覧

尾崎一雄「蜜蜂が降る」

今日もまた200匹ほどの蜜蜂が、我が家の樹の繁みから降ってくる。どの蜂も身をまるめた格好で動く様子がない。私は蜜蜂の生態について、結構いろんなことを識っている。たとえば「蜜蜂がもつ特攻精神」のことや「老蜂を淘汰して行う新陳代謝」のことなどであ…

西野辰吉「米系日人」

米兵と関係を生じて結婚したが、彼が帰還してからは連絡もなく送金もなく・・・彼女は苦しい身上を語ったが、話のどこまでが真実なのかわからない。彼女たちのほとんどが年齢をかくしたり、住所をいつわったりするからだった。役所に勤める私の元には、連日…

石川淳「変化雑載」

教えられて出向いた寺のうす暗い窓口から、すっと差し出された闇タバコ。いや、タバコよりもその手、その爪、真っ赤なマニキュアが塗られたその艶の出たのが、窓口にながれて眼にしみた。飛び出した細い手が札をつかんで引っこんで、硝子もしまって、後には…

小山清「落穂拾い」

小説家の僕は、いつも一人で過ごしている。ときどきは一日中言葉を話さないこともある。ああ、これはよくない。誰とでもいい、ふたこと、みことでもいいのだ。お天気の話をするだけでもいい。人恋しい気持に誘われる。――誰かに贈物をするような心で書けたら…

高見順「草のいのちを」

貞子というその女は二十一だという。女優になりたいらしい・・・が、無理だろう。こういう女性のほとんどが脱落していったものだ。社会を知った大人としては、無謀さを阻止すべきかもしれない。けれども、むげに希望の芽を摘みとるのは、どんなものだろうか…

源氏鶏太「たばこ娘」

朝起きるのと同時に、私の煙草生活がはじまる。寝床で三本、顔を洗って二本。私は本を売り、洋服を売り、それをみんな煙にしてしまった。私は煙草のために死んだら本望である。今日も会社に向かう途中で煙草を買う。いつもツユから買うことにしているが、そ…

松本清張「湖畔の人」

定年まで後六年――。同僚と決して打ちとけることがなく、親しい友人も出来なかった矢上は、遠く離れた諏訪の地への転勤を命じられた。彼はすでに諦めており、孤独を自分の居場所と定めていた。だが、松平忠輝が流された町・諏訪に対しては、ある心の動きがあ…

中野重治「おどる男」

電車がこない。ここには通勤人の不服そうな顔が並んでいる。しかし電車が来ても、どうせ荷物のようにどこかに運ばれ、ろくでもない用事をするだけだろうが。それにしても、来ねえなあ。いくら待っても電車が来ねえや。こうしたイライラが充満したプラットホ…

長谷川四郎「張徳義」

橋の警備隊にとらえられた張徳義。彼は半地下に入れられ、日本兵の奴隷として暮らすことになった。馬とともに鞭打たれる激しい労働、残飯を与えられて暮らす日々。古い上官が去り、新しい上官が来たが、彼に対する扱いに変化はない。彼の存在は忘れられてい…

金達寿「富士のみえる村で」

私たち朝鮮人は、被圧迫・差別に抵抗して生きている。いわゆる特殊部落民として生きてきた岩村市太郎もその点は同じである。彼に対する共感が、私たちの心には芽生えていた。ところが、今回の旅行は彼と私たちに、思いがけない悲劇をもたらしたのであった。…

椎名麟三「懲役人の告発」

懲役人としての過去を持つ長作は、社会と自分の人生から外れ、肉体の支配者からも外れて生きているのだ。過去が重くのしかかっている。「前科者!」と叫ぶ弟や、直接口を利いたことがない継母らは、彼の現在を過去ごとぶっ刺したままだ。生きながら死んでい…

川端康成「片腕」

片腕を一晩お貸ししてもいいわ――。女の外された片腕を持った私は、もやの濃い夜の中を帰途についた。やさしくしたおかげで、腕は話をしてくれる。私は娘の腕をやわらかくなで、手を握った。円みのある肩、腕のつけ根。まげた肘の内側にできた光りのかげを、…

牧野信一「吊籠と月光と」

僕は自己を三個の個性A〜Cに分け、それらを架空世界で自由に活動させて息抜きを持つ術を覚えていた。この糸口は、息苦しさで破裂しそうになりながらじっとしていた僕に、インヂアン・ダンスを躍らせたのである。空想させてやるだけで、僕の頭は、ベリイ、ブ…

太宰治「ロマネスク」

むかし津軽の庄屋に、太郎という男の子が生れた。これは生れるとすぐに大きいあくびをし、動くこといっさいを面倒がるのである。彼はいつも退屈そうに過ごしていた。そして、はやくも三歳のときにちょっとした事件を起し、そのお蔭で太郎の名前が村のあいだ…

深沢七郎「おくま嘘歌」

おくまは数えどしなら64で、「ワシなんか、厄介者でごいすよ」とよその人には言うのだったが、腹のなかでは(まだまだ、そんねに)と思っているのだった。おくまは葱も茄子もダイコンもトマトもジャガ芋もいんげん豆も作っているうえに、鶏を30羽も飼って…

山本周五郎「よじょう」

「斬られて死んで、おやじは本当に、これで満足だっていったのかい。相手が宮本武蔵だかなんだか知らねえが・・・」。そのうち橋のそばに新しく小屋が出来、ここに勘当された岩太が住み始めた。世間から見捨てられた不良の行着いた先である。ところが監視の役…

高見順「不正確な生」

わたしはまだまだ気は若い。先日もたち食いをしていると若い男女がやってきて、往来でダンスの稽古をはじめたのである。「おれにも教えろ」「おじさんには無理よ」「なにが無理だ」と、見よう見真似でやってみた。なんだか肩が凝ったみたいな、凝った肩がほ…

山本周五郎「こんち牛の日」

祝言の三日後、おすぎは金目のものをすべて持ち出して出奔した。心当たりがないでもない。塚次は、一人でもよく働いた。懸命に働きつづけた。それにしても、おすぎが帰ってきたら、おれはどうするだろう。きっと何も言えやしないさ。塚次はぼんやりと溜息を…

大江健三郎「洪水はわが魂に及び」

樹木と鯨の代理人を自認する大木勇魚は、野鳥の声を聞き分ける五才の少年ジンと、閉じられた核シェルターの中に穏やかに暮していた。そんな彼らの可能性を「自由航海団」の影が開いてゆくが、そこにケヤキ群の「樹木の魂」が語りかけてくる。注意セヨ!注意…

織田作之助「勝負師」

ちょうど1ヶ月前、私はある文芸雑誌に、静かな余生を送っている坂田三吉の古傷に触れるようなことを書いた。だが、私は今また彼のことを書こうとしている。それは人生で最も大事な勝負において常識外れの、前代未聞のを指し、そして敗れた坂田の中に、私は私…