牧野信一

牧野信一「ゼーロン」

はるか村まで行かなければならないが、険しい道にも連れがいる。あのときのコンビ復活、愛馬ゼーロンとの遠出再び。けれども、おお、酔いたりけりな、僕のペガサス、ロシナンテは、しばらく見ないうちに驢馬になっていた――。私に舌を噛ませようとしたり、転…

牧野信一「天狗洞食客記」

「エヘン!」と咳払いを発すると、右手の先で顎を撫で、それから左腕を隣りの人を抱えるように横に伸して、薄ぼんやりとギョロリ。奇妙な癖をもち、それが頻発するようになった私は、周りの人々にことごとく気味悪がられた。そこで私はR氏の世話で、天狗洞…

牧野信一「吊籠と月光と」

僕は自己を三個の個性A〜Cに分け、それらを架空世界で自由に活動させて息抜きを持つ術を覚えていた。この糸口は、息苦しさで破裂しそうになりながらじっとしていた僕に、インヂアン・ダンスを躍らせたのである。空想させてやるだけで、僕の頭は、ベリイ、ブ…

牧野信一「西瓜喰う人」

村人が最も忙しいみかんの収穫時、作家の滝は、あの丘の頂きの上で半日あまり熱心に凧揚げをしていた。それも決して呑気な凧上げではない。夢中だ。余はてっきり滝が小説の構想に余念がないと思っていたのに!滝は日ごろ何をして過ごしているのか。滝は書斎…

牧野信一「酒盗人」

連日連夜の飲み会により、とうとう酒樽が空になった。酒の主・音無家からもらってくるさ!と僕は気軽に請合うが、どうやらもう貸しは作れないらしい。せっかくみんなで貯めた金銭も、立て替え代金以上にはならないようだ。音無の奴め。・・・よし、攻め入ろ…

牧野信一「鬼涙村」

私と水流舟二郎君は、毎年恒例の鬼涙村祭に用いられるお面作りの仕事仲間であった。完成したお面を届けに久しぶりに外出すると、村には祭りが近づいている景色が見受けられた。だが、私にとっての祭りは決して楽しみばかりではない。祭りの背後では秘密結社…

牧野信一「夜見の巻 「吾ガ昆虫採集記」の一節」

人はゼーロンと私との関係を仲が良いと勘違いしているが、とんでもない、ヤツは私の宿敵である。見るだけで腹が立つ。だが、この若者の前ではしっかりとしたところを見せておこう。軽やかに発足の合図をかけたのだが、ゼーロンが再び歩き出すのは私の「動」…

牧野信一「鬼の門」

村人のほとんどは村名物の暴風に備えて、今まさに懸命に養生しているのだ。のんきに本を読んでいる暇はないのだが、私は本の中に生きる冒険者である。破産はしていたが「華やかなる武士道」に生きているのだ。・・・屋根の上の敵襲に対し、先祖が着けていた…

牧野信一「鱗雲」

昔、この町では百足凧の大きさや豪華さを競った凧揚げ大会が繰り広げられたものであり、子供の頃の私も大いに魅了されたことを覚えている。そうだ、子供たちにあの光景を見せてあげるために、自分の手で百足凧を作ってみよう。だが、作業をはじめようとして…

牧野信一「月あかり」

誰も彼もがあだ名で呼び合っている村のお話である。何故かこのあたりでは古来から大概の男は仇名の方が有名で、いつの間にか当人さえも自分の本名を忘れている者さえ珍しくありません。私にくる音取かく(おかく)からの手紙の宛先も間違いだらけで、牧野が…

牧野信一「剥製」

ある日、疎遠になっていた母から「法要のため帰りなさい」との手紙が届いた。道のりは遠いため急がなければならないが、神経性の病に加えて貧弱な私の歩みは遅れる一方だ。同行者は私に老馬・Zの前を歩かせることにしたが、いつもZを苛めていた私は、やつに…

牧野信一「バラルダ物語」

それにしても最近の日照りは厳しく、水のない水車小屋ほど淋しいものはない。水車を長年動かしてきた一家は、雪五郎を筆頭に全員が筋肉豊富だが、これではその力を生かすこともなく、生活もおぼつかない。それでも近づく、お祭りの日。債権だの日照りだのと…

牧野信一「西部劇通信」

この写真を御覧。一見すると、まさにアメリカ・インディアンの屯所と見られるだろうが、よくよく見ると僕をはじめ君の知っている顔があるだろう。ここの人たちは僕が着ているインディアン・ガウンを見て、「おお、都の流行スタイルはこれか!」ととりちがえ…

牧野信一「雪景色」

引越しを控えた小説家の瀧は、庭にいる鯉の処分のことを考えていた。ところが金魚屋が高額に引き取ってくれることを知ると、雇人・AとBに指図して一匹残らず生け捕りしようと鯉捕りの采配を振るうのだった。AとBが必死に働く池を眺めるうち、瀧の思いは…

牧野信一「山を降る一隊」

山奥の製材所で木材の長さを計り、それを大きな声で読み上げる。私の仕事はメートル係りである。陽の下で行う健康的な仕事は晴れやかな毎日を与えてくれた。仕事を覚えて日々上手になっていく自分を知ることは、楽しかった。妻もそんな私を晴れがましく思っ…