牧野信一「バラルダ物語」

 それにしても最近の日照りは厳しく、水のない水車小屋ほど淋しいものはない。水車を長年動かしてきた一家は、雪五郎を筆頭に全員が筋肉豊富だが、これではその力を生かすこともなく、生活もおぼつかない。それでも近づく、お祭りの日。債権だの日照りだのという現実は置いておいて、それにしてもお祭りは楽しいだろうなあ・・・と、居候の私は現実を忘れて空想に飛んでしまう。

バラルダ物語 (福武文庫)

バラルダ物語 (福武文庫)

 シビアな金銭の話も独特の芳醇な味わいによって吹き飛ばされ、お祭りへの熱した思いとともに、舞台はいつの間に日本の現実から遠く離れ、ドン・キホーテとして絢爛たる異世界へと飛び出してしまうのでした。また、ありえないほどマッチョな親子に囲まれた、ありえないほど弱小な主人公が悪党どもと対峙する構図や、強調された貧弱さと勘違いの度合いも面白いです。

 「金が返せないというんなら、うちの若旦那の御所望通りに、うぬの娘をお妾奉公に出すが好いや。何も奉公に出したからと云って、とって喰おうと云うんじゃない。こんなぶっつぶれ小屋で、喰うや喰わずの暮しをしている貧乏娘が、俺らのうちの若旦那のお情けをこうむるなんて、夢にもないたいした出世じゃねえか、そんな冥加も知らずに、一体娘は何処にかくしてしまやがったんだい。やい、やい、やい、さあ、ぬかせ、娘の在所を云いやあがれえ。俺達一同は、手前達のぺこぺこお辞儀の体操を見物に来たんじゃないぞや――やい、この米搗《つ》きばったの老ぼれ野郎奴!」