2005-12-01から1ヶ月間の記事一覧

色川武大「右むけ右」

私が昭和十五年に入学した中学校は、内面のことよりも外面を正すことに特徴があったように思う。それは中島校長の教育方針にあったのだろう。今、当時のことを振りかえるにあたり、私はこの小文を恩師の美談にするつもりはない。劣等性だった私は教師たちか…

色川武大「サバ折り文ちゃん」

顔と胴体が異常に大きく、足が細い。身の丈は二メートル弱。出羽ヶ獄文治郎は、全体の感じが陰気で痴呆的な巨漢力士だった。大正から昭和にかけて文ちゃんの愛称で親しまれ、負けても勝っても日本中の人気者だった。だが、その人気はマイナスのものであり、…

坂口安吾「盗まれた手紙の話」

兜町の投機会社に飛び込んできた、見知らぬ精神病院からの分厚い手紙。そこには予言を得るようになったという、元駅員の患者が書いた几帳面な文字がびっしりと並んでいた。饒舌につづられた手紙の内容は、果たして嘘か誠か――。暇つぶしに楽しんでやろうかと…

田中英光「桑名古庵」

桑名古庵は、土佐における最初のヤソ教信者とされているが、この情報はだいぶ怪しい。むしろ彼の生涯の方に封建社会の犠牲者としてのはっきりした栄誉があると思う。白髪が増えてゆく母、一人立ちして医者になる古庵、それぞれに生きる兄弟たち、そしてキリ…

井伏鱒二「黒い雨」

ここ数年、姪の結婚話がうまくいかなかったのは、彼女が原爆病患者であるという噂が邪魔しているからである。彼女を広島に呼び寄せた責任もあり、重松は心に重荷を感じ続けてきた。それでも今回は上手くいきそうである。昭和二十年の日記を書き写し、仲人に…

坂口安吾「花妖」

「孤独が心地いい」とうそぶき、終戦後も防空壕に起居する父、その父を軽蔑する母。開放的な遊び人の次女、前時代的で暴力的な男であるその夫。そして狂気的情熱を持った長女・雪子。終戦後の変化について行く者と行けない者が混ざり合った物憂げな一家が過…

高見順「尻の穴」

吉行淳之介君と行ったおかまバーで聞いた出来事に、僕はふと友人の「更生させようとして、かえって自殺に追いやった」という言葉を思い出した。そうだ、大観園のことを書いてみよう。人がごった返して異臭漂い、階段下には真裸の死体がいる。毎度のことだか…

織田作之助「訪問客」

タバコがなければ一行も書けない十吉のために、君代は今日も煙草を持ってきてくれる。ところが、十吉は女房気取りな君代がうとましい。周囲は「あの娘さんを貰ってあげたらどうです」というが、十吉は煙草を吹かしながら、君代のような女を女房にするのは、…

坂口安吾「街はふるさと」

悪人の利己主義者、金銭至上の合理主義者、センチな貧乏者、決断出来ない子供、達観した神様、娼婦、ギャング。京都と東京をまたにかけ、彼らは動く。ある者は運命に流され、ある者は逆らって生きている。無だと言われ、蔑まれ、それでも男は「生き抜く」と…

織田作之助「鬼」

流行作家の彼はいくら溜め込んでいるかと軽蔑されていたが、私のところに金の相談に来た。「何を買っているんだ?」「煙草だ。一日7,80本は確実で、100本を超える日もある」。減らせと言っても、けちけち吸うと気がつまり、仕事に影響が出るのだという――全…

太宰治「満願」

これは、いまから、四年まえの話である。私が伊豆で一夏を暮し、ロマネスクという小説を書いていたころの話である。泥酔して怪我をした私を治療しに現れた、泥酔したお医者さん。おかしさに笑いあった二人は以来仲良しになったのである。お医者さんのお宅に…

織田作之助「アド・バルーン」

七つの年までざっと数えて六度か七度、預けられた里をまるで付箋つきの葉書みたいに移って来たことだけはたしかで、放浪のならわしはその時もう幼い私の体にしみついていたと言えましょう。だから私は、大阪から東京への道を、徒歩で歩くことを考えついたの…

坂口安吾「古都」

ただ命をつなぐだけ、それでいい――。恋に破れて絶望した私は、東京に住むことが出来なくなり、京都に行き着いた。宿にしたのは、地の果てのような末路にふさわしい場所であった・・・。宿の親父らと碁会所を作り、囲碁で先生と呼ばれるようになる。しかし、…

織田作之助「神経」

戦争がはじまると、殺されたあの娘が通っていた「花屋」も「千日堂」も、私が通っていた「波屋」も、大阪劇場も常盤座も弥生座も焼けてしまった。だが、戦後、人々は帰ってくる。焼跡を掘り出して店を構える準備をしている。私は彼らのことを復興の象徴とし…

織田作之助「道なき道」

日本一のヴァイオリン弾きになれ!幼い頃から父に厳しく育てられた壽子は、青白くやせ細りながらも、生来の負けん気で泣いて頼むこともなく、戦っていた。その日は早くお祭りに行きたいと願っていたが、父は太鼓の音がうるさいからと窓を閉め、うだる暑さの…