色川武大「右むけ右」

 私が昭和十五年に入学した中学校は、内面のことよりも外面を正すことに特徴があったように思う。それは中島校長の教育方針にあったのだろう。今、当時のことを振りかえるにあたり、私はこの小文を恩師の美談にするつもりはない。劣等性だった私は教師たちからビンタを食いつつ、彼らの言辞やあげ足とりめいたことをしていたが、現在また同じようなことをやろうとしている自分に呆れる。

怪しい来客簿 (文春文庫)

怪しい来客簿 (文春文庫)

 連作短篇「怪しい来客簿」中の一作。戦争という時代のさなか、学校での行動は教師のそれも学生のそれも、日本の情勢とともにカメレオンのように変化していきます。「そもそも教師とは何なのか」という作家の疑問が、彼らの教育方針を元にした行動を比較的冷静に振り返ります。描かれるのは、学生と学生の問題、学生と教師の問題、教師と教師の問題。けれどもそんな中でも時折、最初の場所から背筋をまるめたまま、全く動かない人間がいたりします。8月15日に立っていた場所によって日本人も勝者と敗者に別れるわけですが、学生からも教師からも軽く見られてきた人物が最後に発した「不相変」な一言は、彼の人生そのものであり、痛快です。