佐多稲子「水」

 春の日の正午過ぎ、上野駅のホームの片隅で、幾代はしゃがんで泣いていた。彼女がしゃがんでいる前には列車の鋼鉄の壁面があり、ときどき彼女のすぐ前を駈け抜けて行く人がある。幾代はつかまり場を欲した姿勢そのままに、ズックの鞄を両手にかかえこんでいた。打ちひしがれて、とめどなくあふれ出る涙を拭きながら、彼女は胸の中で母親を呼びつづけていた。ハハキトクスグカヘレ――。

文士の意地 下―車谷長吉撰短篇小説輯

文士の意地 下―車谷長吉撰短篇小説輯

 静かな話です。駅のホームで泣きつづける娘。母娘の関係の深さは、そのまま悲しみの深さに直結します。後半に行われる動作の意味は小説らしく、さまざまな示唆を与えるものです。
 悲しみの感情を通して母親との間に存在のパイプラインを認識した瞬間から、幾代はありとあらゆる悲しみを一身に背負い込んでしまいました。彼女の小さな体はその重みに耐えられず涙はとめどなく溢れ出ますが、同じくとめどなく溢れるものの存在について、彼女の本質にある優しさと労働者としての習性が、とある制御を行います。それは他者との交信を閉じた状態の彼女においては、当然、無意識に行われた動作でしたが、母親から受け継がれた性質をも感じとったためか、それを見た作者の筆は、彼女を優しく元の場所に帰すのでした。