長谷川四郎「鶴」

 そこは円形の小部屋で、外に出ているのは機関銃ではなくて、望遠鏡だった。敵陣地見取図には至るところに番号があり、敵がいることを意味していた。しかし望遠鏡からは肉眼では見ることのできないものが、はっきりと見えたのである。朝露のきらめいているゆるやかな斜面の草原があり、花畑で遊ぶタルバガンがあり、そして鶴がいた。望遠鏡をそれ以上動かぬくらい廻転させ、誰も見たことがない遠方に、鶴は美しく立っていた。すると背後から人間が銃を持って近づいて来て、鶴に狙いを定めたのである。

長谷川四郎 鶴/シベリア物語 (大人の本棚)

長谷川四郎 鶴/シベリア物語 (大人の本棚)

 長谷川四郎の代表短編。押しつけがましさがまるでないので、好感度がとても高い小説です。静かに語りかけてくるような文体は、読者に豊かな思索の時を与えてくれます。一気読みではなく、出来れば章ごとに足を止めて、ゆったりと浸りたい作品です。

 戦争中の出来事ですが、ここは激戦地帯ではありません。ひとりきりの狭い部屋から、望遠鏡で敵陣を監視するのが彼らの仕事。主人公は同僚の矢野と、静かな中に理解しあうという、安定した友人関係を築いています。
 毎日同じこと続きで暇なので、次第に緊張感が緩んできて・・・次第に望遠鏡の角度も緩んできます。そこには自由のない軍隊生活とは異なる、生きた人間の生活がありました。バレない程度の小さな反抗。それでも主人公はなんでもない車が大砲のように見えたりして、キュッと戦争の日々に戻される時があります。しかし、矢野はそんなレベルではありません。普段から上官に対する尊敬もなければ形式的な隷属もない。望遠鏡は敵陣どころか、あり得ない角度に向けられています。
 両者は「戦争」というものに対して、おそらく同じ気持ちを抱いています。個性をつぶす組織でも「何か」を忘れなかった矢野と、「中の人」になってしまった主人公は、望遠鏡の中にそれぞれに必要な「何か」を見ました(作中には「何か」という言葉が数度登場しますが、それぞれの意味を考えてみるのも面白いです)。そんな彼らのそれぞれの行動とは―――。

 そして、ばかやろう!の上官と、下働きする普通の人々。上官には(ある一瞬を除いて)人間味を全く与えず、ステレオタイプ張りぼてであり、ここに作者の反戦・反軍隊の思いを感じます。この構図は題材的にありきたりですが、しかし、長谷川四郎流は個性的。
 攻撃的なデモンストレーションでもなければ、被害者をアピールする姿勢もとりません。さらに履歴書に書かれるような表面的な個性は、ほとんど全てが慎重に削除してあります。仕事上重要な国境すら不明確に描いており、「これらの山々は敵地と呼ばれていた。なぜなら(略)中間には、例の国境線がはっきりと引かれていたからである」なんて、まるで他人事(このセンテンス、最高)。作者は戦争体験を持つ当事者ですが、それでありながら、どこか遠くの民話のように穏やかに物語を紡いでいます。・・・その心境に至らせたのは、どれほどの悲しみか。

 ちなみに長谷川四郎太宰治と同年生まれで、今年が生誕百年です。

 その瞬間、信号弾は突然、色を変えて赤い光を放ち見る間に夜空に吸われるように消えてしまった。それは子供の時に見た花火のように美しかった。それは、私たちの邂逅の一瞬間が、そこで火花を放ったかと思われた。そして、その消えていった真上あたりには、月光の中で一つ、かすかに輝いている星があるのを、私は見た。