2005-01-01から1年間の記事一覧

色川武大「右むけ右」

私が昭和十五年に入学した中学校は、内面のことよりも外面を正すことに特徴があったように思う。それは中島校長の教育方針にあったのだろう。今、当時のことを振りかえるにあたり、私はこの小文を恩師の美談にするつもりはない。劣等性だった私は教師たちか…

色川武大「サバ折り文ちゃん」

顔と胴体が異常に大きく、足が細い。身の丈は二メートル弱。出羽ヶ獄文治郎は、全体の感じが陰気で痴呆的な巨漢力士だった。大正から昭和にかけて文ちゃんの愛称で親しまれ、負けても勝っても日本中の人気者だった。だが、その人気はマイナスのものであり、…

坂口安吾「盗まれた手紙の話」

兜町の投機会社に飛び込んできた、見知らぬ精神病院からの分厚い手紙。そこには予言を得るようになったという、元駅員の患者が書いた几帳面な文字がびっしりと並んでいた。饒舌につづられた手紙の内容は、果たして嘘か誠か――。暇つぶしに楽しんでやろうかと…

田中英光「桑名古庵」

桑名古庵は、土佐における最初のヤソ教信者とされているが、この情報はだいぶ怪しい。むしろ彼の生涯の方に封建社会の犠牲者としてのはっきりした栄誉があると思う。白髪が増えてゆく母、一人立ちして医者になる古庵、それぞれに生きる兄弟たち、そしてキリ…

井伏鱒二「黒い雨」

ここ数年、姪の結婚話がうまくいかなかったのは、彼女が原爆病患者であるという噂が邪魔しているからである。彼女を広島に呼び寄せた責任もあり、重松は心に重荷を感じ続けてきた。それでも今回は上手くいきそうである。昭和二十年の日記を書き写し、仲人に…

坂口安吾「花妖」

「孤独が心地いい」とうそぶき、終戦後も防空壕に起居する父、その父を軽蔑する母。開放的な遊び人の次女、前時代的で暴力的な男であるその夫。そして狂気的情熱を持った長女・雪子。終戦後の変化について行く者と行けない者が混ざり合った物憂げな一家が過…

高見順「尻の穴」

吉行淳之介君と行ったおかまバーで聞いた出来事に、僕はふと友人の「更生させようとして、かえって自殺に追いやった」という言葉を思い出した。そうだ、大観園のことを書いてみよう。人がごった返して異臭漂い、階段下には真裸の死体がいる。毎度のことだか…

織田作之助「訪問客」

タバコがなければ一行も書けない十吉のために、君代は今日も煙草を持ってきてくれる。ところが、十吉は女房気取りな君代がうとましい。周囲は「あの娘さんを貰ってあげたらどうです」というが、十吉は煙草を吹かしながら、君代のような女を女房にするのは、…

坂口安吾「街はふるさと」

悪人の利己主義者、金銭至上の合理主義者、センチな貧乏者、決断出来ない子供、達観した神様、娼婦、ギャング。京都と東京をまたにかけ、彼らは動く。ある者は運命に流され、ある者は逆らって生きている。無だと言われ、蔑まれ、それでも男は「生き抜く」と…

織田作之助「鬼」

流行作家の彼はいくら溜め込んでいるかと軽蔑されていたが、私のところに金の相談に来た。「何を買っているんだ?」「煙草だ。一日7,80本は確実で、100本を超える日もある」。減らせと言っても、けちけち吸うと気がつまり、仕事に影響が出るのだという――全…

太宰治「満願」

これは、いまから、四年まえの話である。私が伊豆で一夏を暮し、ロマネスクという小説を書いていたころの話である。泥酔して怪我をした私を治療しに現れた、泥酔したお医者さん。おかしさに笑いあった二人は以来仲良しになったのである。お医者さんのお宅に…

織田作之助「アド・バルーン」

七つの年までざっと数えて六度か七度、預けられた里をまるで付箋つきの葉書みたいに移って来たことだけはたしかで、放浪のならわしはその時もう幼い私の体にしみついていたと言えましょう。だから私は、大阪から東京への道を、徒歩で歩くことを考えついたの…

坂口安吾「古都」

ただ命をつなぐだけ、それでいい――。恋に破れて絶望した私は、東京に住むことが出来なくなり、京都に行き着いた。宿にしたのは、地の果てのような末路にふさわしい場所であった・・・。宿の親父らと碁会所を作り、囲碁で先生と呼ばれるようになる。しかし、…

織田作之助「神経」

戦争がはじまると、殺されたあの娘が通っていた「花屋」も「千日堂」も、私が通っていた「波屋」も、大阪劇場も常盤座も弥生座も焼けてしまった。だが、戦後、人々は帰ってくる。焼跡を掘り出して店を構える準備をしている。私は彼らのことを復興の象徴とし…

織田作之助「道なき道」

日本一のヴァイオリン弾きになれ!幼い頃から父に厳しく育てられた壽子は、青白くやせ細りながらも、生来の負けん気で泣いて頼むこともなく、戦っていた。その日は早くお祭りに行きたいと願っていたが、父は太鼓の音がうるさいからと窓を閉め、うだる暑さの…

高見順「誇りと冒涜」

狭間は私の古い知り合いである。一時は有望株であったが、師匠K氏の夫人と逃亡してから作家生命を絶った。一説によれば、狭間は夫人を射止めることに野心を燃やしただけだという。その事件から十数年後、狭間がひょっこり私の家に訪ねてきた。そして断りき…

高見順「ノーカナのこと」

陥落直後のラングーンで、印度人コック長ポトラーズは特別料理を作る約束を果たさなかった。材料費をくすねておいて、発覚しても謝らなかった。私はそんなポトラーズから印度人を考え、ひいては人間に絶望しそうな自分が恐かった。そんなときでも給仕ノーカ…

長谷川四郎「勲章」

この大隊は旧軍隊の秩序をそのまま保持しており、佐藤少佐はシベリヤ天皇として特権的な生活を送っていた。しかし、本人はさほど意識していなかったようだが、彼も所詮捕虜であった。或る日着任してきたロシヤ人将校は、少佐と兵隊たちに権力がいずこにある…

坂口安吾「イノチガケ」

信長に保護され、秀吉に蹴落とされ、家康に止めを刺され、切支丹は完全に国禁された。海外からは情熱を抱いて浸入する宣教師が絶えなかったが、遊ぶ子供の情熱に似た幕府の単調さは、彼らの迫害を行い続けた。火あぶり、氷責、斬首、穴つるし、島原の乱、鎖…

梶井基次郎「闇の絵巻」

闇!そのなかでわれわれは何を見ることもできない。思考することさえできない。何が在るかわからないところへ、どうして踏み込んでゆくことができよう――。闇を愛することを覚えた私は、旅館から旅館への10キロほどの道のりを愛した。力強く構成される街道の…

深沢七郎「因果物語―巷説・武田信玄」

武田信玄は三百五十年も前に死んだ人なのである。けれども甲斐の国の百姓たちにとっては、今でも立派な人といえば信玄公よりほかにいないし、偉い人というのも信玄公よりほかにはないのである。水騒動や税法の一件のときも、村人にとっての「シンゲンコー」…

井伏鱒二「かきつばた」

小林旅館にある伊部焼の水甕は、高さ四尺で朱色に近く、私は非常にそれを欲しがった。ところがおかみさんは譲ってくれない。広島の空襲後、旅館はすでに立退いていて、水甕は放置されたままだった。健在の日の思い出が去来し・・・しかし、いまいましい。棄…

石川淳「おまえの敵はおまえだ」

欲望に油をかけて火をつけろ。けちくさい希望のかけらまで燃やし、希望くさい嫌疑のあるやつは全てたたきつぶせ。そこにわれわれの国、島がうまれる。こっちの夢が悪夢となり可能が不可能となる島が、噴火とともに浮上する。支配をたくらむ人間ども、朝のま…

小林秀雄「人形」

大阪行きの急行の食堂車で、私の前の空席に、上品な格好をした老夫婦が腰をおろした。細君が取り出したのは、おやと思う程大きな人形だった。背広を着、ネクタイをしめているが、しかし顔の方は垢染みてテラテラしており、眼元もどんより濁っていた。妻はは…

深沢七郎「みちのくの人形たち」

みちのくに住むヒトに誘われて、私は東北に行ったのである。そのヒトは家など一軒もないような山に住んでいた。どういうわけかこのあたりの人たちは、三十五、六歳のあのヒトを「ダンナさま」と呼んでいる。食事が終った頃、青年がやってきて「産気づいたか…

開高健「ロマネ・コンティ・一九三五年」

冬の日の午後遅く、小説家と重役が、広いテーブルをはさんですわっていた。二人の間には酒瓶がおいてある。本場中の本場、本物中の本物、ロマネ・コンティ。「・・・では」とつぶやいた小説家は、暗い果実をくちびるにはこぶ。流れは口に入り、舌のうえを離…

石川淳「和頭内」

御存じ和唐内、なにをいうかとおもえば「つらくってかならねえ」。豪傑のセリフとも思えない。子分のもーる左衛門、じゃが太郎兵衛は、サーヴィスすなわち百戯すなわち雑芸をうつ。しかるにこれは三日でつぶれた。横町に一日遅れで開幕したこれも百戯の評判…

大佛次郎「スイッチョねこ」

お母さんねこのちゅういをきかないで、いたずらな白吉は虫を食べようとしてまっていました。そのうちに白吉はいねむりをはじめました。するととつぜん、口の中に虫がとびこんできて、それを白吉はむちゅうでごっくんとのみこんでしまったのです。それいらい…

石川淳「二人権兵衛」

狐を盗んだうんぬんのつべこべ問答のすえ、とぼけ顔のゴンベは船橋の権兵衛と証書をかわした。「首一つ。払えなければ米一俵」。ゴンベは押問答というやつは不得手で、脇差をちらちらさせる権兵衛に負けることはきまっている。それにしても、これはゴンベの…

椎名麟三「ある不幸な報告書」

石本家では税金滞納により家具一式が差し押さえられた。妻・とり子は、家が彼女の家ではなくなったように感じられたが、国家権力により認められた家具により、石ころのような自分たちにも光を当ててもらえた思いもした。まもなく、夫の浜太郎ら一家四人が帰…