深沢七郎「因果物語―巷説・武田信玄」

 武田信玄は三百五十年も前に死んだ人なのである。けれども甲斐の国の百姓たちにとっては、今でも立派な人といえば信玄公よりほかにいないし、偉い人というのも信玄公よりほかにはないのである。水騒動や税法の一件のときも、村人にとっての「シンゲンコー」の威力、というより信頼する様子はすごいのである。そしてここでは演劇、旅芝居となって伝わっている信玄公を記すのである。

妖木犬山椒 (中公文庫 A 99-2)

妖木犬山椒 (中公文庫 A 99-2)

 戦国武将・武田信玄。彼の武勇伝は様々な形で現代に語り継がれています。巷説として地元に伝承されているそれは、歴史としての事実とは異なる部分が多々あるようです。しかしそうした説の存在こそが、「信玄公が山梨の百姓たちには永遠に生きていることになるのではないだろうか」と作者は言います。信玄公がいかにして一揆を鎮めたか、さらに、旅役者が演じる信玄・勝頼物語が、無駄話のステキをもって描かれます。
 伝承された物語は、1つしかないと思われる真実を探る歴史家にとってはジャマなものかもしれませんが、理想化された伝説には、その土地で生きる人々の想いがこめられています。真実の追究よりもロマンを大切にすることが、作者の気持ちとして作品に込められているように感じました。そして作品から浮かぶのは、村民たちの実直な姿。彼らを中心とした後半の「旅芝居」は、至極あっさりと書かれているのですが、とても面白そうでした。
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