2004-11-01から1ヶ月間の記事一覧

太宰治「畜犬談」

諸君、犬は猛獣である。彼らは馬をたおし、獅子をも征服するというではないか。いつなんどき怒り狂い、その本性を発揮するかわからない。世の多くの飼い主は、さながら家族の一員のようにこれを扱っているが、不意にわんと言って喰いついたら、どうする気だ…

花田清輝「沙漠について」

書けない原稿を前にして一語も浮かばず苦悩する、孤立無援の私である。砂を相手に模索し、錯乱し、試行錯誤を繰り返している。砂、砂、砂。閉じてしまいそうな瞼と戦いながら、砂について沙漠について、考察したあげくの思考の流砂。そうだ、砂には無限の破…

大江健三郎「空の怪物アグイー」

著名な若い作曲家Dのもとには、ときどき空の高みから「あれ」が降りてくるのだ。カンガルーほどの大きさの赤んぼう、エゴイスティックな意思から、かつて殺してしまった赤んぼう・・・。「きみはまだ若いから、失った大事なものをいつまでも忘れられずに、そ…

大江健三郎「スパルタ教育」

若いカメラマンが発表した《狂信者たち》という組写真は、各方面から厳重な抗議を受けた。その反応の大きさのため、世間知らずだったカメラマンの内部には、功名心にとってかわって恥ずかしさの虫が巣をつくった。かれは自信を失い酒に逃げるが、《狂信者た…

大江健三郎「ブラジル風のポルトガル語」

ぼくと森林監視員とは、五十人近い村人が集団失踪した部落を訪れた。彼らの失踪に思い当たる理由はない。発狂でもなければ、税金に苦しめられたのでもない。――変わり映えのしない現状からの脱出に理由はあるのか、いや、理由なんているのだろうか?空の怪物…

石川淳「ゆう女始末」

ゆう二十六歳は日本橋のど真ん中に住み込んでいるくせに、寄席にも芝居にも興味がなく、見るのも聞くのも政治小説に政治欄。袖ひく男も寄りつきにくく、ゆうは鏡と相談した。ところが明治二十四年のくれ、ゆうの目には夢のうるおいが見えた。――ニコラス様、…

石上玄一郎「日食」

人間が光合成能力を持つことが出来たならば、これは食糧問題に起因するあらゆる戦争を終結させるだろう。偉大な思想であり、未来に説かれる新たな産業革命である!――この思想故に、峯生は例の秘密結社から狙われてきた。だが、この戦いも明日で終わりだ。彼…

石上玄一郎「鵲」

相変わらず雑踏している上海の街。そこに一人の老人が坐っていたが、彼は腕組みをしたまま眠っていた。道に記した文章で同情をひく乞食の一人であるようだ。何気なく行き過ぎようとしたが、まれに見る書体の美しさと卓抜な行文が、行きどころのない私の足を…

伊藤整「生きる怖れ」

その大学へ入学した私たち四人の仲間のうちで、私はいつも三人をとりもつ立場にいた。彼ら三人は互いに憎み対立しあい、それでいて皆、私を求めるのである。いわば私は彼らの存在に安心と価値を与え、バランスを取り直すためにいた。――しかし、どうして、い…

安部公房「燃えつきた地図」

誰もが出掛けたところへ帰ってくる。見えない目的に駆り立てられて、戻ってくるために出掛けて行く。だが、中には出掛けたまま帰ってこない人間もいて・・・。いったい彼はどこにいるのだ。探偵のぼくは失踪した彼を求めて、彼の地図をたどる。いや、ぼくが…