2004-01-01から1年間の記事一覧

坂口安吾「信長」

天下に名だたる大タワケ・織田信長。彼の兵法を配下の武将たちは全く理解できないでいた。彼らは考えた。今川義元が攻めてくるまでの時間の問題である。だが、美濃のマムシ殿だけは違っていた。信長が大バカと言ったのはどこのどいつだ?・・・放埓の果てに…

開高健「巨人と玩具」

キャラメルメーカーのサムソンは、キャラメルにつける「おまけ」の知恵を絞っていた。キャラメル業界の不透明な先行きの中、サラリーマンたちを襲う徒労、そして無力感・・・。だが、重役たちの声はたったひとつであった。「もっと売れ!もっと売れ!」――巨…

椎名麟三「自由の彼方で」

情けなくていやらしい清作は、レストランで働きながら、自分が何をしたいのか、さっぱりわからないと考えていた。ああ、どうしてぼくには幸せがこないんだろう!と裏の空地で涙していたが、そもそも幸福とは何なのかということについてさえ、具体的なことは…

井上靖「ある偽作家の生涯」

原芳泉は、不幸な生涯を送った人物であった。彼は天才・大貫桂岳と比する才能を持ちながら生かす道を知らず、偽作家となり果て、孤独のうちに生涯を閉じた人であった。今、私は桂岳の伝記の記述を、しばしば投げ出してしまうのだ。それは桂岳の輝かしい経歴…

尾崎一雄「まぼろしの記」

私よりも優れた人間が、私よりも先に死んでいく。懸命に生きようとする人間を押しつぶす、ある理不尽な力を感じざるをえない。60を過ぎた私は、縁側でこれまでのことを思い出していた。けれども、抵抗のしようがないじゃないか。どうしようもないではないか…

太宰治「魚服記」

馬禿山の滝つぼ近くの茶店で、店番のスワはすべて父親の指示どおりにしていた。しかし、このごろ、スワはすこし思案ぶかくなってきたようである。ながめているだけでは足らなくなってきたのだ。父親は、売れても売れなくても、なんでもなさそうな顔をしてい…

椎名麟三「重き流れの中に」

僕には明日の希望がない。昨日はすでに滅んでいる。明日は昨日の繰り返しだし、今日は廃墟でしかない。けれども明日のことを考えるのは気持がいい!特に天気のことを考えるのは最高だ。生活は徹頭徹尾無意味である。けれどもこの無意味さは笑うことによって…

太宰治「畜犬談」

諸君、犬は猛獣である。彼らは馬をたおし、獅子をも征服するというではないか。いつなんどき怒り狂い、その本性を発揮するかわからない。世の多くの飼い主は、さながら家族の一員のようにこれを扱っているが、不意にわんと言って喰いついたら、どうする気だ…

花田清輝「沙漠について」

書けない原稿を前にして一語も浮かばず苦悩する、孤立無援の私である。砂を相手に模索し、錯乱し、試行錯誤を繰り返している。砂、砂、砂。閉じてしまいそうな瞼と戦いながら、砂について沙漠について、考察したあげくの思考の流砂。そうだ、砂には無限の破…

大江健三郎「空の怪物アグイー」

著名な若い作曲家Dのもとには、ときどき空の高みから「あれ」が降りてくるのだ。カンガルーほどの大きさの赤んぼう、エゴイスティックな意思から、かつて殺してしまった赤んぼう・・・。「きみはまだ若いから、失った大事なものをいつまでも忘れられずに、そ…

大江健三郎「スパルタ教育」

若いカメラマンが発表した《狂信者たち》という組写真は、各方面から厳重な抗議を受けた。その反応の大きさのため、世間知らずだったカメラマンの内部には、功名心にとってかわって恥ずかしさの虫が巣をつくった。かれは自信を失い酒に逃げるが、《狂信者た…

大江健三郎「ブラジル風のポルトガル語」

ぼくと森林監視員とは、五十人近い村人が集団失踪した部落を訪れた。彼らの失踪に思い当たる理由はない。発狂でもなければ、税金に苦しめられたのでもない。――変わり映えのしない現状からの脱出に理由はあるのか、いや、理由なんているのだろうか?空の怪物…

石川淳「ゆう女始末」

ゆう二十六歳は日本橋のど真ん中に住み込んでいるくせに、寄席にも芝居にも興味がなく、見るのも聞くのも政治小説に政治欄。袖ひく男も寄りつきにくく、ゆうは鏡と相談した。ところが明治二十四年のくれ、ゆうの目には夢のうるおいが見えた。――ニコラス様、…

石上玄一郎「日食」

人間が光合成能力を持つことが出来たならば、これは食糧問題に起因するあらゆる戦争を終結させるだろう。偉大な思想であり、未来に説かれる新たな産業革命である!――この思想故に、峯生は例の秘密結社から狙われてきた。だが、この戦いも明日で終わりだ。彼…

石上玄一郎「鵲」

相変わらず雑踏している上海の街。そこに一人の老人が坐っていたが、彼は腕組みをしたまま眠っていた。道に記した文章で同情をひく乞食の一人であるようだ。何気なく行き過ぎようとしたが、まれに見る書体の美しさと卓抜な行文が、行きどころのない私の足を…

伊藤整「生きる怖れ」

その大学へ入学した私たち四人の仲間のうちで、私はいつも三人をとりもつ立場にいた。彼ら三人は互いに憎み対立しあい、それでいて皆、私を求めるのである。いわば私は彼らの存在に安心と価値を与え、バランスを取り直すためにいた。――しかし、どうして、い…

安部公房「燃えつきた地図」

誰もが出掛けたところへ帰ってくる。見えない目的に駆り立てられて、戻ってくるために出掛けて行く。だが、中には出掛けたまま帰ってこない人間もいて・・・。いったい彼はどこにいるのだ。探偵のぼくは失踪した彼を求めて、彼の地図をたどる。いや、ぼくが…

石川淳「小公子」

酔いどれどもが去ったあとに残った客は、若い男ただひとり。主人が「あなたはむかしお見かけたような」と声をかけると、客は「ぼくの生活は明日だけだ。きのうや、きょうのことは、もうおぼえが無い」と答えた。おやじが「また明日きてくれ。きょうの勘定は…

石川淳「曾呂利咄」

奉行石田光成来訪の知らせに、はてと立ち上がった曾呂利新左衛門、これは知部殿と盃あげるが、いや、今宵人知れず参ったのはそなたの智慧を拝借するためだ、まず聴け、と語ったところによれば酒樽が不思議な盗まれ方をするといい、そなたの器量にぜひ頼む、…

吉行淳之介「手鞠」

かつてたびたび肌を合わせた女に声をかけられたとき、彼は思わず雑沓にまぎれこむ姿勢になった。この女に対して逃げ隠れする理由も、彼はもっていないのに――。彼と友人の男は、女の後をついて、街の裏側へと歩み込んでいく。はじめてその種のことを経験した…

石川淳「アルプスの少女」

クララはハイジのはげましのおかげで、立ち上がることが出来るようになった。歩くことが出来るようになったクララに、牧場の生活に気に入らないことがある法はない。けれどもクララの目と足は、牧場とは反対側の村の方に、村よりもずっと向うのほうにむいて…

吉行淳之介「不意の出来事」

彼にバレちゃったの――。三十才のヤクザであり、雪子の足裏に煙草の火を押付ける男に、私のことが気づかれたという。私が与える快感とともに刻まれる眉間の皺が証拠となって、彼にバレちゃったというのである。そして、私に会いに「彼」が来るという。私は待っ…

石川淳「霊薬十二神丹」

助次郎はたわいない口論から蹴たおされ、一刀により肝腎なものをすぽりと切りおとされた。神医につかえてきた弟は、つちかった秘術を兄のために使った。天地の霊をこめた丸薬を用いることで、かのものは元の位置にもどったのである。だが、様子のことなると…

尾崎一雄「退職の願い」

私は人生において素人である。二十代で「めんどくせエ」を口癖にしていた頃から、それは変わっていないのではないか。私が「責任感」を持てたのは、ようやく妻をめとり、長女を得てからのことである。だがこの一年ほどの間で、私は記憶力の減退を感じだした。…

石川淳「修羅」

時は応仁の乱世、小さな戦のひとまず片付いた河原にて。足軽の死骸の間より、ゆらゆらと生身の女がにおい出た。あたりに目をくばったのは、陣から抜け出した山名の姫。都にもおそれられた古市の里に下り、主とちぎりをむすんだ女は数万のかしらとなって都へ…

石川淳「八幡縁起」

石別を抱えた山は、高く天にそびえ、茂みは大山となった。土地で山は神であり、その主である石別は山そのものであった。ある日、はるかかなたに丘がうまれ、それは三七二十一日目に山となった。ふもとの土地で新王の隣にそなえた荒玉は、血をこのむ新しい霊…

太宰治「たずねびと」

故郷へ向かう列車内はひどい暑さでした。病弱な二歳の男の子は泣き通しでしたし、五歳の女の子も結膜炎を患っています。汚いシャツの父親と、髪は乱れて顔に煤がついた母親と・・・。その列車の中でお逢いしたひとに、再びお逢いしたいのです。そして、お伝…

坂口安吾「青鬼の褌を洗う女」

そもそも私は男に体を許すことなどなんとも思っておらず、気だるいだけで、好きであればいいという感覚だ。それを人は不潔だというが、難しいことが面倒なだけなのだ。そのうちに戦争がやってきて母親が死んだが、私は気楽な生き物であった。国のことは他の…

尾崎一雄「花ぐもり」

蜘蛛にもいろいろあって、活発に駆け廻って餌をとる奴もあれば、何喰わぬ顔で近づいていってさッと飛びつく奴もある。私は、網の真ん中にいて、虫をいつまでも待ち続けている蜘蛛だ。自分からそこへはまり込んだ私と比べることは、蜘蛛に対して失敬かもしれ…

林芙美子「夜の蝙蝠傘」

戦地で右足を切断した英助は、もう死んでしまっても仕方がないと観念していた。いまから思えば、生きかえることを深く信じていたが、心の片隅の感傷は、生命と云う炎のまわりを、死んでも仕方がないぞと云いつづけていた。しかし英助は死ななかった。死んで…