尾崎一雄

尾崎一雄「猫」

「あたしんちの近所でねえ、赤ちゃんが猫に喰われたんだよ、こわァ」。芳枝は妊娠以後臆病癖がますます昂進し、近ごろは便所へ行くことすら渋っている。それもこれも私に稼ぎがないためである。「赤ちゃんが猫に似てたらどうしよう」と言う芳枝を、私は軽くあし…

尾崎一雄「蜜蜂が降る」

今日もまた200匹ほどの蜜蜂が、我が家の樹の繁みから降ってくる。どの蜂も身をまるめた格好で動く様子がない。私は蜜蜂の生態について、結構いろんなことを識っている。たとえば「蜜蜂がもつ特攻精神」のことや「老蜂を淘汰して行う新陳代謝」のことなどであ…

尾崎一雄「退職の願い」

私は人生において素人である。二十代で「めんどくせエ」を口癖にしていた頃から、それは変わっていないのではないか。私が「責任感」を持てたのは、ようやく妻をめとり、長女を得てからのことである。だがこの一年ほどの間で、私は記憶力の減退を感じだした。…

尾崎一雄「花ぐもり」

蜘蛛にもいろいろあって、活発に駆け廻って餌をとる奴もあれば、何喰わぬ顔で近づいていってさッと飛びつく奴もある。私は、網の真ん中にいて、虫をいつまでも待ち続けている蜘蛛だ。自分からそこへはまり込んだ私と比べることは、蜘蛛に対して失敬かもしれ…

尾崎一雄「こおろぎ」

「こおろぎは泣き虫だね。でも、圭ちゃんは泣かないね」「泣かない」。そうと決めたら動かない四つの子供の様子に、私は安堵と同時にいじらしさを感じた。二年前に死にかけて以来、私は自分が初老の男にすぎないことを知った。ひるがえって、こいつらのこの小さ…