尾崎一雄「花ぐもり」

 蜘蛛にもいろいろあって、活発に駆け廻って餌をとる奴もあれば、何喰わぬ顔で近づいていってさッと飛びつく奴もある。私は、網の真ん中にいて、虫をいつまでも待ち続けている蜘蛛だ。自分からそこへはまり込んだ私と比べることは、蜘蛛に対して失敬かもしれない。だが、似ている。私には積極的な習性はまるでない。動くことで得られたはずの可能性は、自ら捨てに捨てた。

まぼろしの記・虫も樹も (講談社文芸文庫)

まぼろしの記・虫も樹も (講談社文芸文庫)

 とても穏やかな描写で、荒れた心を耕したいときに見たいタイプの小品です。ストーリーの中に爆発する部分はまるでありませんが、ぼんやりと苔を眺めている老人の頭に突然(それでものんびりと)思い出される思い出の数々。これはとても絵になります。
 消極的に生きてきた人生を眺めやり、「ああ、あのとき積極性があったならなあ!」と振り返ります。やらずに後悔するくらいなら、やって後悔した方がいい。考えたあげくに行わないよりも、考えずに行った方がいい。そのことに気づくのは、人間が自分の足で歩き始めたときからです。後悔してももう遅いかどうかは、気づいた後の対処によります。