2004-08-01から1ヶ月間の記事一覧

福永武彦「未来都市」

死に憑かれて放浪を繰り返していたその時、僕はヨーロッパのどこかの都会で「BAR SUICIDE」という酒場を見つけた。「死にたければ、特別のカクテルを出しますよ」。バアテンの言葉に誘われるまま、僕はグラスを口へ運ぶ。隣にいた男が、バアテンが叫び、そし…

北杜夫「河口にて」

アントワープからル・アーブルまではわずか一日足らずの距離なのに、船は濃霧のため、未だ河口にとどまっている。このあたりには数十隻の船がぎっしりとかたまり、幻聴のような鐘の音を響かせあっている。すでに空と水との区別もむつかしく、霧はさまざまな…

埴谷雄高「追跡の魔」

逃げつづける夢、というのがある。そこでは誰もが「決定的な大罪」を犯した者であり、暗黒の追跡者から逃げつづけるのである。この夢は、私にめざましい啓示を与えた。いつまでも逃げつづけられれば、すなわち夢を見つづけるならば、やがて宇宙の果てへ辿り…

埴谷雄高「闇のなかの黒い馬」

真夜中過ぎ、遠い虚空から一匹の黒馬が駆けおり、鉄格子のはまった高窓から音もなく乗りいれてくる。黒馬の柔和な目に誘われて尾の先を握りしめると、ふわりと浮いた私の体は暗黒の虚空へ向って進みはじめた。もしこの手を放さなければ、《ヴィーナスの帯》…

北杜夫「少年と狼」

森と山の麓の草原のあたりに、デヒタというへんちくりんな少年がすんでいました。いつも仲間はずれにされていたデヒタは、よし、山へ行ってみよう!と思いました。大変むつかしいことでしたが、デヒタはがんばりました。たどりついたちいさな沼で、デヒタは…

北杜夫「パンドラの匣」

みんな、よく堪えているものだと感心します。あたしは重心がゆがんでいるんでしょう、今にもくずれそうな平衡のもとで、いつもびくびくして生きています。けれどもみんなは軟体動物のようにするすると生きているらしい。あたしが鈍感なのかしら?いえ、たん…

吉行淳之介「驟雨」

その女のことを、彼は気に入っていた。「気に入る」というのは、愛とは別だ。愛によるわずらわしさから身を避けるために、彼は遊戯からはみ出さないようにしていた。そのために彼は娼婦の町を好んで歩いた。だから彼、山村英夫は自分の心臓に裏切られたよう…