北杜夫「パンドラの匣」

 みんな、よく堪えているものだと感心します。あたしは重心がゆがんでいるんでしょう、今にもくずれそうな平衡のもとで、いつもびくびくして生きています。けれどもみんなは軟体動物のようにするすると生きているらしい。あたしが鈍感なのかしら?いえ、たんに弱虫なんでしょう。あたしはすぐに傷ついてしまう。なかでも一番むごいのは、なんと言ったって――愛。


 ひとめ太宰治「女生徒」を思わせる繊細な女性の独白体ですが、ぐらりぐらりと不安定な感覚を引き起こさせるストーリーが、主人公に大変な危うさを与えており、不思議と緊迫した話になっています。
 この主人公は、何か事が起きるとバランスを失っては、大きな不安にかられてしまうのです。なかでも、愛。上昇を目指したものは少ないのですが、愛についてのパッセージの種類が豊富なので、感受性の高い方はお気に入りを見つけられるのではないでしょうか。

 愛が元来まやかしものである以上、それに溺れつくすことが愛をひとつの言葉から飛翔させるのではないでしょうか。