萩原朔太郎「猫町」

 私は、道に迷う。意図的に、道に迷う。不安から抜け出したところに、快楽があるために他ならない。その日も私は、道に迷っていた。ところがそのとき現れたものは、全く見ず知らずの町であった。一体こんな町が、東京の何所にあったのだろう?どうしてこんな町が、今まで少しも人に知れずにあったのだろう?そこで私の目に映ったものは、怖るべき――。

猫町

猫町

 天橋立の「股のぞき」(あるいは葛山二郎「股から覗く」)といったように、慣れ親しんだ形を失った人間は、そこに全く新しい世界、ネガとポジの世界を知ります。この主人公にとって世界は不思議であふれかえっているはずです。一変してしまう町の様子、その描写はとてもメリハリが効いていて、雰囲気にあふれかえっています。

 私はこの怪談散文詩をこよなく愛している。朔太郎の詩集や数々のアフォリズムと同様に、あるいはそれ以上に愛している。(江戸川乱歩「「猫町」」)

 次に語る一つの話も、こうした私の謎に対して、或る解答を暗示する鍵(かぎ)になってる。読者にしてもし、私の不思議な物語からして、事物と現象の背後に隠れているところの、或る第四次元の世界――景色の裏側の実在性――を仮想し得るとせば、この物語の一切は真実(レアール)である。だが諸君にして、もしそれを仮想し得ないとするならば、私の現実に経験した次の事実も、所詮はモルヒネ中毒に中枢を冒された一詩人の、取りとめもないデカダンスの幻覚にしか過ぎないだろう。とにかく私は、勇気を奮って書いて見よう。ただ小説家でない私は、脚色や趣向によって、読者を興がらせる術を知らない。私の為し得ることは、ただ自分の経験した事実だけを、報告の記事に書くだけである。