2004-05-01から1ヶ月間の記事一覧

大江健三郎「人間の羊」

バスの中。両隣の外国兵たちは酒に酔って笑いわめき、日本人乗客たちは眼をそむけていた。やはり酔っている女が、僕とからみあって転倒したとき、外国兵は女をたすけ起し、僕を強く睨んだ。肩を掴まれ突きとばされ、ガラス窓に頭をうちつけられた。外国兵は…

大江健三郎「他人の足」

この病棟で僕らはひそかに囁きあうとか、声をおし殺して笑うとかしながら、静かに暮らしていた。しかし、外部からその男が来てから、凡てが少しずつ執拗に変り始めたのだ。彼はすぐに運動をし始めた。寝椅子の少年たちに、あきらめず、愛想よく話しかけてい…

武田泰淳「ひかりごけ」

投げやりに眺めやったさきの一角でだけ見える「ひかりごけ」。これを見学した私たちは村へもどり、校長の話を聞きました。遭難しかけた話、登山の苦労、人肉を食べた男の話・・・人肉を食べた?私の作家としての感覚が、この話に引き寄せられたのを感じました…

佐木隆三「ジャンケンポン協定」

労使の妥協案として実施される「ジャンケンポン協定」。初の紳士協定といわれるそれは、ジャンケンに勝った方が会社に残り、負けた方がリストラされるというものである。・・・最後尾についた彼の計算によれば、出番までには三時間半ほどある。列のあちこち…

北条民雄「癩を病む青年達」

まだ発症していないため退院の望みを捨てきれなかったが、成瀬のような青年達は驚くべき速さで病院に慣れ、この小さな世界に各々の生活を形作って行くのだった。病院に婦人患者は三十パーセントほどしかいないため、ここでは女は王様で男は下僕である。――成…

北条民雄「間木老人」

収容患者千五百名近く、ここは一つの部落だった。宇津は仕事中に間木老人と会い、その所作のうちに品位や風格を感じ、尊敬を憶えるようになった。だが、老人はらい病と精神病を併発した患者の病棟にいるのですと言ったため、宇津は驚いてしまった。一ヶ月程…

大江健三郎「飼育」

夕焼が色あせてしまった頃、村に犬と大人たちと、墜落した敵機に乗っていた《獲物》の黒い大男が帰ってきたのだ。「この村で飼う?あいつを動物みたいに飼う?」以来、子供たちは疫病に侵されて、生活は黒人兵で満たされた。大人たちは通常の仕事に戻り、黒…

開高健「パニック」

去年の秋、この地方でいっせいに花ひらいたササは、あらゆる種類の野ネズミを呼び寄せた。春の訪れとともにネズミは洪水となって田畑にひろがっていくだろう。この貪婪集団の行く手を阻むものは何もない。この事態を察したのは、山林課の俊介だけだった。だ…

福永武彦「飛ぶ男」

彼が乗ったエレヴェーターは彼の意識を飛ぶ鳥のように8階に残したまま、もう1つの彼の意識を撃たれた鳥のように無抵抗に落下させる。僕ハ魂ヲ置イテキタ・・・。彼は病院から戸外に出て行く。これが本物の明るさだ。彼の視線は植物や雑誌を素通りし、屋根の…

梅崎春生「麺麭の話」

異常インフレが続き食べ物が不足した時代、真面目な役人である彼は、妻と子と犬と自分を飢えさせるために働いているようなものであった。汁やカスしかない食卓のたびに、血色のいい多田の声が思い返されてくる・・・。1週間前、多田が打診してきたのは、役所…

安岡章太郎「悪い仲間」

ようやくニキビがつぶれかけてきた夏休みの頃、僕は藤井高麗彦と出会ったのだ。彼は僕をさまざまな冒険に誘っては僕を大いに驚かせ、彼が示唆するさまざまな秘密は、僕の彼に対するイメージを決定付けた・・・。そして夏休みが終わると、僕は高麗彦と同じ行…

矢田津世子「神楽坂」

爺さんが妾宅で待っていると、お初が帰ってきた。お初は爺さんに金目のある物を遠慮なくせびる。爺さんの方でも、つい負けてしまう具合である。いっぽう、内儀さんは女中の種が気に入っている。「ああ、わたしにもこんな女の子があったらなあ」とまで言って…

中島敦「夫婦」

大人しいギラ・コシサンの妻・エビルは浮気者だったので、異常な焼餅焼であった。この地方には喧嘩で勝った方が正義となるしきたりがある。怪力エビルは全勝し、彼女の情事は正しいことになった。ああ、哀れな夫よ。だがある日、ギラ・コシサンは美人のリメ…

大江健三郎「不意の唖」

外国兵と日本人通訳をのせたジープが谷間の村にやってきた。外国兵はたくましくて美しかったが、通訳は汚らしかった。水浴びの後、通訳の靴がなくなった。通訳は大騒ぎしたが見つからず、歯をむいて「この野郎」と叫び、「お前の責任だ」と部落長を殴った。…

安岡章太郎「陰気な愉しみ」

私には何か欠陥があるのかもしれない。軍隊生活でもまったく昇格できず、そのあげく背中に受けた傷がもとで病気になり、今は横浜市から金をもらって生活している。私はいつも役所へ着いたとたんに「健康人になってしまわないだろうか?」という不安に襲われ…

井伏鱒二「へんろう宿」

ここ「へんろう宿」で私を出迎えてくれたのは、50くらいの女である。奥の部屋へ行くためには居間を通る必要があるが、そこには80ぐらいのお婆さんと60くらいのお婆さんが座っていた。どこを見渡しても、男手というものが見当たらない。いわくについて知るこ…

矢田津世子「旅役者の妻より」

あね様。おたよりせなんだ約百日ばかりの間、言葉につくせぬ苦労をなめました・・・。わたくしは産後の体調優れず、良人は舞台で卒倒して以来回復せず、悲惨と申すほかありません。ああ、何度親子心中を考えたかしれません。たくさん金儲けした親戚たちも、…

安岡章太郎「ガラスの靴」

待つことが僕の仕事だった――。夜番として雇われた僕は、戦う勇気も体力もないが、ただ待つことだけは出来るのだ。ある日、届け物をした家の先のメイドとしたしくなった。彼女は二十歳だったが、とても子供っぽいところのある人で、一日中かくれんぼをしてい…

中島敦「李陵」

騎都尉・李陵は僅かの兵を率いて出撃、優れた戦術と力量を持って強敵・匈奴を大混乱に陥れるが、内通に遭い敗北、囚われの身となる。それを聞いた祖国・漢では、皇帝・武帝を前に、諸侯が生き永らえた李陵を売国奴と罵っていた。黙して語らぬ者もいたが、そ…

三島由紀夫「新聞紙」

夫は今夜は帰らないかもしれない。敏子は、もう少し外で遊んでいたいのである。なぜなら、家の広間にはまだ血痕が残っているように思われるためだ。夫はまるで世間話のように話のネタにしているが、想像力の権化のような敏子はあの情景の記憶が鮮明に残って…

井伏鱒二「朽助のいる谷間」

谷本朽助(七七歳)の孫のタエトという娘から手紙が来た。「この谷底にダムが出来ることになり、私どもの家は立ち退かなければならなくなりました。けれども、祖父・朽助は反対なのでございます。弁護士でおられるあなたならば(中略)祖父を説き伏せて下さ…

大江健三郎「アトミック・エイジの守護神」

原爆孤児となった10人の少年たちを養子として育て、新聞に「アトミック・エイジの守護神」と書かれた中年男。だが、彼は少年たちに巨額の保険金をかけていたことが判明し、その記事を書いた記者はとても不愉快そうだった。実際、白血病で1人死に、2人死…

中島敦「弟子」

孔子のような人間を、子路は見たことがなかった。優秀さが目立たないほど均衡の取れた豊かさが、平凡に、しかし伸び伸びと発達している。一方孔子は、この弟子の馴らし難さに驚いている。形式主義への本能的忌避と実践精神の逞しさは舌を巻くほどで、自ら好…

鶴田知也「コシャマイン記」

多くの部落を率いて蜂起したが、日本人の卑劣な罠に敗北した父。勇猛なるアイヌ民族・セタナの酋長であった父の遺志を継ぐために、母・シラリカと幼いコシャマインは敗走した。同族の誇りとして、最強の血を継ぐ唯一の人間として、コシャマインは青年になる…

中島敦「名人伝」

弓の名人になろうと志を立てた紀昌は、名人・飛衛に弟子入りした。飛衛は、まず瞬きせざることを学べと命じた。紀昌は修行した。2年の後、鋭利な刃物が目先を通っても瞬きをせぬまでになった。彼のまぶたはそれを閉じさせる筋肉の使用法を忘れ、睫毛と睫毛の…

武田泰淳「汝の母を!」

日本軍に捕まった現地の息子と母親を前に、強姦好きな兵士たちは気味悪い笑みを浮かべていた。無知な兵士は「バカヤロウ!」程度の意味で「ツオ・リ・マア!」と叫んだが、それは「お前のおふくろはメス犬だ!」といった意味だった。満足する結果の後、親子…

中島敦「山月記」

道中の袁「さん」の前に現われた噂の人食虎。あわや踊りかかるかと思われたが、虎はたちまち身を翻して草かげに去った。「あぶなかった・・・」という人の声に、袁さんは叫び声をあげた。「その声は、我が友、李徴子ではないか」。かつて発狂し失踪した親友…

遠藤周作「従軍司祭」

兵役義務で生活を奪われた俺は、義務としてアルジェリアのゲリラ戦に派兵されるようになった。だが、俺はどうして殺さなきゃいけないのか解らないんだ。義務だから入隊したのであって、アラブ人が憎いわけじゃない。殺したいなんて、これっぽっちも思っちゃ…

中島敦「文字禍」

老博士ナブ・アヘ・エリバはアシュル・バニ・アパル大王の命により、「文字の精霊」についての研究を始めた。博士は図書館で瓦の内容を調べ、終日それを凝視していたが、そのうちにおかしな事が起った。一つの文字を見詰めている中に、いつしか文字が解体し…

石川利光「春の草」

妻・睦子とは別居しており、家に帰っても寝るしかない。仕事の成績をあげるとか、面白い遊びを見つけるとか、そういったことに興味も欲望もおこらない。毎日を片付けていく、そんな生活をすでに一年以上も送っている。睦子との喰い違いは、京口が戦争から帰…