中島敦

中島敦「悟浄出世」

悟浄は病気だった。彼は一万三千の妖怪の中で、最も心が弱い生き物だった。「俺は莫迦だ」とか「俺はもう駄目だ」とか「どうして俺はこうなんだろう」とか呟いていたのである。医師の魚妖怪に「この病には自分で治すよりほかは無いのじゃ」と言われ、とうと…

中島敦「狐憑」

弟の惨殺を直視して以来、シャクは妙なうわごとを言うようになった。一同はそれを弟の霊が喋っているのだと結論した。だが、シャクの言ううわごとは日に日に多彩になっていった。人々は珍しがってシャクのうわ言を聞きに来た。だが、あるとき一人の聴衆が言…

中島敦「巡査の居る風景」

敷石には凍った猫の死骸が牡蠣のようにへばりついた。その上を赤い甘栗屋の広告が風に千切れて狂いながら走った――。1923年の冬、すべてが汚いまま凍りついていた。趙教英巡査は寒そうに鼻をすすっては首を縮め、街を歩いていた。彼は支配者である日本という…

中島敦「夫婦」

大人しいギラ・コシサンの妻・エビルは浮気者だったので、異常な焼餅焼であった。この地方には喧嘩で勝った方が正義となるしきたりがある。怪力エビルは全勝し、彼女の情事は正しいことになった。ああ、哀れな夫よ。だがある日、ギラ・コシサンは美人のリメ…

中島敦「李陵」

騎都尉・李陵は僅かの兵を率いて出撃、優れた戦術と力量を持って強敵・匈奴を大混乱に陥れるが、内通に遭い敗北、囚われの身となる。それを聞いた祖国・漢では、皇帝・武帝を前に、諸侯が生き永らえた李陵を売国奴と罵っていた。黙して語らぬ者もいたが、そ…

中島敦「弟子」

孔子のような人間を、子路は見たことがなかった。優秀さが目立たないほど均衡の取れた豊かさが、平凡に、しかし伸び伸びと発達している。一方孔子は、この弟子の馴らし難さに驚いている。形式主義への本能的忌避と実践精神の逞しさは舌を巻くほどで、自ら好…

中島敦「名人伝」

弓の名人になろうと志を立てた紀昌は、名人・飛衛に弟子入りした。飛衛は、まず瞬きせざることを学べと命じた。紀昌は修行した。2年の後、鋭利な刃物が目先を通っても瞬きをせぬまでになった。彼のまぶたはそれを閉じさせる筋肉の使用法を忘れ、睫毛と睫毛の…

中島敦「山月記」

道中の袁「さん」の前に現われた噂の人食虎。あわや踊りかかるかと思われたが、虎はたちまち身を翻して草かげに去った。「あぶなかった・・・」という人の声に、袁さんは叫び声をあげた。「その声は、我が友、李徴子ではないか」。かつて発狂し失踪した親友…

中島敦「文字禍」

老博士ナブ・アヘ・エリバはアシュル・バニ・アパル大王の命により、「文字の精霊」についての研究を始めた。博士は図書館で瓦の内容を調べ、終日それを凝視していたが、そのうちにおかしな事が起った。一つの文字を見詰めている中に、いつしか文字が解体し…

中島敦「かめれおん日記」

「何?え?カメレオン?え?カメレオンじゃないか。生きてるの?」教師の私は、生徒がもってきたカメレオンを飼うことになった。この動物を前にして、私は熱帯や異国への思いが蘇ってくるのを感じた・・・が、回顧的になるのは衰弱の証拠だ、と人は言う。み…