中島敦「文字禍」
老博士ナブ・アヘ・エリバはアシュル・バニ・アパル大王の命により、「文字の精霊」についての研究を始めた。博士は図書館で瓦の内容を調べ、終日それを凝視していたが、そのうちにおかしな事が起った。一つの文字を見詰めている中に、いつしか文字が解体して、意味の無い線としか見えなくなって来たのだ。博士は考えた。線や点に意味を持たせるのは何か?――これこそ「文字の霊」に違いない。
- 作者: 中島敦
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1992/07
- メディア: 文庫
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近頃人々は物憶えが悪くなった。これも文字の精の悪戯である。人々は、もはや、書きとめておかなければ、何一つ憶えることが出来ない。着物を着るようになって、人間の皮膚が弱く醜くなった。乗物が発明されて、人間の脚が弱く醜くなった。文字が普及して、人々の頭は、もはや、働かなくなったのである。