2006-01-01から1年間の記事一覧

武田泰淳「森と湖のまつり」

映写がつづいているあいだも、入口からは絶えずアイヌたちが降りてきた。そのとき、ツルコ、ツルコというささやきが、女たちの口から口へ伝わった。鶴子は雪子の傍に腰をかがめると、「つまんないな」とつぶやいた。「あいかわらずだな、君は」と池博士は言…

武田泰淳「快楽」

宝屋の若夫人の肉の魅力とその妹・久美子の思いつめた姿が、女への執着を棄てることが出来ない青年僧・柳の頭にあった。善を知るためにはまず悪を知らなければならないと若夫人は言い寄るが、柳は「いやだいやだいやだ」と首をふるばかりだった。悪僧・穴山…

武田泰淳「女賊の哲学」

美しく賢い、しかも強い第二夫人に暗い過去がかくされていようなどとは、誰も想像できなかった。ある朝、城に向って白蓮教の集団が迫ってきたのである。夫の県長はいつまでも来ない援軍を求めながら、次第に発狂したようになった。第一夫人が「私たちを救っ…

島尾敏雄「出発は遂に訪れず」

固い眠りから覚めた私は、変りのない一日がまだ許されていることを知る。死の淵に立っていても睡眠と食慾を猶予できないことが、私を虚無と倦怠におしやり、暗い怒りにみまう。特攻隊の指揮官として出来ることはすでにないが、さし迫った状況はどこに行った…

開高健「日本三文オペラ」

フクスケが連れていかれたゆがんだ家では、大男たちが洗面器に入った牛の臓物を食っている最中だった。元陸軍砲兵工廠の杉山鉱山から豊富な鉄を笑うために、住民800人全部が泥棒となった部落・アパッチ族。そこでは親分、先頭、ザコ、渡し、もぐりなど見事な…

大江健三郎「頭のいい「雨の木」」

暗闇の壁をもち驟雨を降らせる「雨の木」から戻ってくると、少年青年を愛するビートニクの詩人と車椅子の天才建築家の論争が、僕を待ち受けていた。それは彼らの足元あるいは背後にいる聴衆を意識したゲームあるいはパフォーマンスであったが、下降堕落の方向…

円地文子「樹のあわれ」

武治が定年を過ぎても高級呉服部の現役主任でいられるのは、彼の技量を買われている為である。しかし、このごろ老眼に加えて勘が鈍くなってきており、ボロが出る前にそろそろ退職した方が利口だろうと思ってはいる・・・。今日は女店員・熊田葉子に注意をし…

中野重治「空想家とシナリオ」

車善六は空想家だった。たとえば彼は自分の名前の由来についても空想に浸っているのだった。また彼は役所での仕事の合間にも、創造的苦痛を伴うような自分にあった仕事、たとえばシナリオを書くことなどを考えていたのである。彼の空想はどんどん広がってい…

丸谷才一「墨いろの月」

翻訳家の朝倉がバーでマスターから聞いた話によると、どうやら30年ほど前に自分が喧嘩を教えた子供が現在ヤクザの親分になっており、「あのとき教わっていなかったら、今の自分はない」と言ったらしい。喧嘩に負け続ける子供に指南したことは自分の中では美談…

武田泰淳「もの喰う女」

私は最近では、二人の女性とつきあっていました。男友達も多い弓子との付き合いは、愛されているようであり、馬鹿にされているようでもあり、その反動が私を房子に近づけました。房子は喫茶店で働く、貧乏な女でした。彼女のそばに居ると、弓子のおかげでい…

石上玄一郎「精神病学教室」

まったく自信がもてない医師・高津に、教授は手術を薦めてきた。「患者の危険も、時によってはやむを得ないものだ」。一方では、親友に死期が迫っている者がおり、高津は彼には延命をこころみる・・・。ここに現代医学から絶望視された二人の患者がある。彼ら…

北杜夫「楡家の人びと」

大正八年、年末恒例の賞与式では、朗々と響き渡る青雲堂主人の声に応じて不思議な人物たちが壇上へ昇ってくる。そのひとりひとりに賞を手渡す、院長・楡基一郎の仰々しく得意げな様子。それらを長女・龍子は微動だにせずに、三女・桃子は興味と熱意をもって…

佐多稲子「水」

春の日の正午過ぎ、上野駅のホームの片隅で、幾代はしゃがんで泣いていた。彼女がしゃがんでいる前には列車の鋼鉄の壁面があり、ときどき彼女のすぐ前を駈け抜けて行く人がある。幾代はつかまり場を欲した姿勢そのままに、ズックの鞄を両手にかかえこんでい…