日本への視線

開高健「ずばり東京」

東京へ、東京へと人がおしよせてくるので土地の値段がめちゃくちゃにあがっている。練馬のお百姓さんとなると、十億、二十億になるという。みんなどんどん転業して、社長になり経営者になっている。しかし、話を聞いた七人のうち、一人だけ今も変わらずに、…

久生十蘭「鈴木主水」

殿様が御代替の折、押原右内があらぬ権勢をふるうようになった。奥には欠込女が入り込み、連日騒ぎをしているときく。譜代の家来は、火中の栗を拾おうとせず、御暇乞いの声を出すようになった。ある日、家来の鈴木主水は「お家には悪人が不足しているが、そ…

島尾敏雄「出発は遂に訪れず」

固い眠りから覚めた私は、変りのない一日がまだ許されていることを知る。死の淵に立っていても睡眠と食慾を猶予できないことが、私を虚無と倦怠におしやり、暗い怒りにみまう。特攻隊の指揮官として出来ることはすでにないが、さし迫った状況はどこに行った…

北杜夫「楡家の人びと」

大正八年、年末恒例の賞与式では、朗々と響き渡る青雲堂主人の声に応じて不思議な人物たちが壇上へ昇ってくる。そのひとりひとりに賞を手渡す、院長・楡基一郎の仰々しく得意げな様子。それらを長女・龍子は微動だにせずに、三女・桃子は興味と熱意をもって…

色川武大「右むけ右」

私が昭和十五年に入学した中学校は、内面のことよりも外面を正すことに特徴があったように思う。それは中島校長の教育方針にあったのだろう。今、当時のことを振りかえるにあたり、私はこの小文を恩師の美談にするつもりはない。劣等性だった私は教師たちか…

井伏鱒二「黒い雨」

ここ数年、姪の結婚話がうまくいかなかったのは、彼女が原爆病患者であるという噂が邪魔しているからである。彼女を広島に呼び寄せた責任もあり、重松は心に重荷を感じ続けてきた。それでも今回は上手くいきそうである。昭和二十年の日記を書き写し、仲人に…

織田作之助「アド・バルーン」

七つの年までざっと数えて六度か七度、預けられた里をまるで付箋つきの葉書みたいに移って来たことだけはたしかで、放浪のならわしはその時もう幼い私の体にしみついていたと言えましょう。だから私は、大阪から東京への道を、徒歩で歩くことを考えついたの…

井伏鱒二「かきつばた」

小林旅館にある伊部焼の水甕は、高さ四尺で朱色に近く、私は非常にそれを欲しがった。ところがおかみさんは譲ってくれない。広島の空襲後、旅館はすでに立退いていて、水甕は放置されたままだった。健在の日の思い出が去来し・・・しかし、いまいましい。棄…

中野重治「おどる男」

電車がこない。ここには通勤人の不服そうな顔が並んでいる。しかし電車が来ても、どうせ荷物のようにどこかに運ばれ、ろくでもない用事をするだけだろうが。それにしても、来ねえなあ。いくら待っても電車が来ねえや。こうしたイライラが充満したプラットホ…

金達寿「富士のみえる村で」

私たち朝鮮人は、被圧迫・差別に抵抗して生きている。いわゆる特殊部落民として生きてきた岩村市太郎もその点は同じである。彼に対する共感が、私たちの心には芽生えていた。ところが、今回の旅行は彼と私たちに、思いがけない悲劇をもたらしたのであった。…

開高健「巨人と玩具」

キャラメルメーカーのサムソンは、キャラメルにつける「おまけ」の知恵を絞っていた。キャラメル業界の不透明な先行きの中、サラリーマンたちを襲う徒労、そして無力感・・・。だが、重役たちの声はたったひとつであった。「もっと売れ!もっと売れ!」――巨…

井上靖「ある偽作家の生涯」

原芳泉は、不幸な生涯を送った人物であった。彼は天才・大貫桂岳と比する才能を持ちながら生かす道を知らず、偽作家となり果て、孤独のうちに生涯を閉じた人であった。今、私は桂岳の伝記の記述を、しばしば投げ出してしまうのだ。それは桂岳の輝かしい経歴…

遠藤周作「海と毒薬」

戦時下の病院内は、どうせ何をやったって誰もが暗い海に引きずりこまれて死ぬという諦めに似た空気に包まれていた。そこでは患者の命よりも、医学部部長選挙が優先され、同僚は「どうせ空襲で死ぬんだから、病院内で殺された方が医学への発展のためにいい」…

石川淳「紫苑物語」

あくる日の狩、国の守である宗頼はおなじほどの年ごろの平太とあった。やつに守の命はつうじず、すさまじい気迫に圧せられ、宗頼ははずかしめを、いや、のろいを受けた。宗頼はふもとから山上を振り返り、敵の背をにらむ・・・。宗頼は民を殺しては、そのあ…

色川武大「百」

私はこれまで九十五になる父親と八十近い母親の世話をずっと回避し続けてきた。なぜなら父親は私の土地に平気で攻め込んでくるからだ。私が初めて書いた小説は、父親を叩き殺す話だった。しかし現実の父親はなかなか死なない。この父親のそばに居てやるため…

大江健三郎「不意の唖」

外国兵と日本人通訳をのせたジープが谷間の村にやってきた。外国兵はたくましくて美しかったが、通訳は汚らしかった。水浴びの後、通訳の靴がなくなった。通訳は大騒ぎしたが見つからず、歯をむいて「この野郎」と叫び、「お前の責任だ」と部落長を殴った。…

鶴田知也「コシャマイン記」

多くの部落を率いて蜂起したが、日本人の卑劣な罠に敗北した父。勇猛なるアイヌ民族・セタナの酋長であった父の遺志を継ぐために、母・シラリカと幼いコシャマインは敗走した。同族の誇りとして、最強の血を継ぐ唯一の人間として、コシャマインは青年になる…

遠藤周作「従軍司祭」

兵役義務で生活を奪われた俺は、義務としてアルジェリアのゲリラ戦に派兵されるようになった。だが、俺はどうして殺さなきゃいけないのか解らないんだ。義務だから入隊したのであって、アラブ人が憎いわけじゃない。殺したいなんて、これっぽっちも思っちゃ…

佐多稲子「キャラメル工場から」

ひろ子の父親は仕事をしたりしなかったりで、家族を怒鳴り散らして過ごしていた。ある日、彼はひろ子へ向かって、遠い場所にあるキャラメル工場での仕事をつたえた。工場の名が知れていたので、気が向いたにすぎなかった。ひろ子は次の日からしょぼしょぼと…

井伏鱒二「遥拝隊長」

戦争から帰ってきた悠一ッつあんは、気が狂ってしまっていた。普段はとても良い青年なのだが、ときどき軍隊時代を思い出して青年たちに命令を下すのである。逃げ出そうとすると「逃げると、ぶった斬るぞォ」とくるので、村の人は、しようがないなあ、と従っ…

高見順「或るリベラリスト」

奥村氏は大正期の作家であるが、現在も旺盛に勉強に励んでおり、とにかく若くてみずみずしい。今日も青年向けのセミナーに出席していて、若手の文芸評論家・秀島らはその姿に感心しきりであった。氏も若い人たちと接することで「青春がかえってきた」と機嫌が…

武田泰淳「審判」

敗戦によって知った日本の姿、それは世界中から憎まれる日本である・・・。けれども月日はその恐ろしさを癒してゆく。人間なんてそんなものか。けれども、友人となった青年・二郎は違った。彼は戦時中に戦地で行った大罪を、自らの中で処理できずに苦悩し続…

林芙美子「風琴と魚の町」

「ここはええところじゃ、ここは何ちうてな?」「尾の道よ」。風琴の調べにあわせて商品を売る行商人一家。彼らが偶然に降りた町で得た、しあわせの日々。苦しい生活の果てにようやく得られた、安住の地・・・。ところが降り続いて止まない雨が、彼らのしあ…