中野重治「おどる男」

 電車がこない。ここには通勤人の不服そうな顔が並んでいる。しかし電車が来ても、どうせ荷物のようにどこかに運ばれ、ろくでもない用事をするだけだろうが。それにしても、来ねえなあ。いくら待っても電車が来ねえや。こうしたイライラが充満したプラットホームに「おどる男」が現れたのは、不幸なことだったが、しようがないことだ。

 来ない。こない。けれどもこれしか手段がないので、来ないものを待つしかない。不平不満が満ちていても、これしかないから、するしかない・・・稼ぎの手段はこれしかないから、この組織の中で働くしかない・・・。
 某JRの脱線事故は罰則を怖れる運転士の、客への心配りとは方角の違った気持ちが背景にあったとされます。けれどもかつてはサービスも悪く、時間通りになんて来やしませんでした。それが普通でした。
 その場合、なかなかやってこない電車を前に、プラットホームでイラだつ客が生まれます。ここで出るのが人間の本性、社会の縮図。安全度と精度と満足度を天秤にかけた事柄は、人間が関わっていく限り、裁判やプロスポーツ界など幅広い分野で問題となり続けるはずです。