長谷川四郎「張徳義」

 橋の警備隊にとらえられた張徳義。彼は半地下に入れられ、日本兵の奴隷として暮らすことになった。馬とともに鞭打たれる激しい労働、残飯を与えられて暮らす日々。古い上官が去り、新しい上官が来たが、彼に対する扱いに変化はない。彼の存在は忘れられていた。それはすでに人間の扱いではなく、橋に備えられた物品としてのものだった。

鶴 (講談社文芸文庫)

鶴 (講談社文芸文庫)

 音もなくどこまでも続く広漠、その中心にあるちっぽけな橋。その周辺のみで展開される作品の範囲はとてもとても狭いのですが、自然の中に様々なモチーフが与えられたとき、世界がぐーんと一気に広がり、そこに時代の過去・現在・未来が写りこんできます。張徳義の運命に息苦しさを感じかけたときに広がる世界は、野蛮人による残忍を救います。

 日本軍に捕えられた、中国苦力の生涯を語ることによって、中国と日本、この二つの民族と二つの国の歴史と運命、さらに、それを越えた人類の運命までを髣髴させるものを蔵しています。人間とはいえない、ひとりの人間のすがたを描き出すことで、これだけ広大な背景を感じさせる短編というものは、めったにありません。(臼井吉見
長谷川四郎 鶴/シベリア物語 (大人の本棚)

長谷川四郎 鶴/シベリア物語 (大人の本棚)