高見順「或るリベラリスト」

 奥村氏は大正期の作家であるが、現在も旺盛に勉強に励んでおり、とにかく若くてみずみずしい。今日も青年向けのセミナーに出席していて、若手の文芸評論家・秀島らはその姿に感心しきりであった。氏も若い人たちと接することで「青春がかえってきた」と機嫌がよかった。だが、勉学に生きるといって仕事を辞めるに至っては、(家族から見放された)奥村氏を住まわせている大家にとっては問題であり・・・。

 強制的な世代交代の様子が無残・・・。文章も読みやすく、一読して、良い作品です。今まで読んだ高見順作品の中で、もっとも現代に通用する作品だと、私は思います。
 はたから好き勝手を言っていた者たちが、突然責任を負わされることになって右往左往。その結果、奥村老人の処置もいったりきたり。ピンボールのように動かされる人生の末路には誰もが哀れみを覚えることでしょう。
 弱者に対する強者の立場は、志賀直哉小僧の神様」的に人それぞれです。作者が意図しているかは分かりませんが、正義感に溢れて「思う」だけで全く「行動」しない秀島の態度もそのうちの1つ。
 肉体の老いと精神の若さが同曲線を描かない場合、社会的には肉体の老いが優先されます。これを「定年」というのですが、その後の1人ぼっちはさすがにやるせない様子です。

 「つまり、あれがリベラリストというもんだね」
 「所謂オールド・リベラリストのひとつの典型だね」
 期せずして、二人の意見は一致した。