大江健三郎「不意の唖」

 外国兵と日本人通訳をのせたジープが谷間の村にやってきた。外国兵はたくましくて美しかったが、通訳は汚らしかった。水浴びの後、通訳の靴がなくなった。通訳は大騒ぎしたが見つからず、歯をむいて「この野郎」と叫び、「お前の責任だ」と部落長を殴った。息子である少年は、胸をしめつける不安につかれて父親を見あげた。

死者の奢り・飼育 (新潮文庫)

死者の奢り・飼育 (新潮文庫)

 <日本を占領する外国人>を助けて日本人に命令する日本人と、その様子を見まもる日本人の話が、民族性を残した古風な村で展開されます。
 外国人にべったりとくっついて威張る日本人の姿は、国際外交での日本国の姿と重なるように思います。「アメリカに追随するだけでなく日本独自の」云々が言われますが、そうした国の姿を国民が嫌うのはもはや生理的なものだと思われ、それはこの作品によく示されているように感じました。
 一般に日本人が「日本人」と「外国人」とを分けて考えるのは、外見と言語の違いが大きいと思うのですが、その境をスムーズにするための「通訳」や「声優」が文化人として目立つようでは、「日本人」の「地球人」化はまだまだ先だな、という気がします。

 「お前の村の人間に盗人がいるんだ、それは誰かお前には分っているだろう?そいつに白状させてくれ」
 「おれには分らない」と父親はいった。「この村で盗みを働いたものはいない」
 「嘘をつけ、おれが騙されるとでも思うのか」と口汚く通訳はいった。「軍の備品を盗んだ奴は銃殺されても仕方がないぞ、それでいいのか?」