安岡章太郎「陰気な愉しみ」

 私には何か欠陥があるのかもしれない。軍隊生活でもまったく昇格できず、そのあげく背中に受けた傷がもとで病気になり、今は横浜市から金をもらって生活している。私はいつも役所へ着いたとたんに「健康人になってしまわないだろうか?」という不安に襲われる。だが、私は行きたいから行くのである。自分の体を屈辱でいっぱいにするためである。これは陰気な愉しみである。

質屋の女房 (新潮文庫)

質屋の女房 (新潮文庫)

 芥川賞受賞作。自分の性質・性格に対する自信のなさが、自虐的快感を得るまでに転じてしまっている主人公の行動はとても奇妙です。暗い、卑屈、陰険、けれども、どことなく許されてしまう。ここでのブラック・ユーモアのセンスは、梶井基次郎「のんきな患者」的です。さらに水際立っているのはラストのコントラストであり、その「絵になる姿」さ加減はとてもいい印象を残します。

 そのため私は、いやだ、不安だ、と云いながら実は、その日のくるのを待ちどおしいほど待っている。これは陰気な愉しみである。