井上靖「ある偽作家の生涯」

 原芳泉は、不幸な生涯を送った人物であった。彼は天才・大貫桂岳と比する才能を持ちながら生かす道を知らず、偽作家となり果て、孤独のうちに生涯を閉じた人であった。今、私は桂岳の伝記の記述を、しばしば投げ出してしまうのだ。それは桂岳の輝かしい経歴よりも、原芳泉の数奇な生涯の方が私の思いを奪うためであった。

ある偽作家の生涯 (新潮文庫)

ある偽作家の生涯 (新潮文庫)

 これは大樹の影に生きざるを得なかった1本の雑草に焦点をあてた作品です。便乗、コピー、モノマネ。ただ現代は良い(往々にして、これは「安い」の意味)ものなら何でもよく、消費者のプライドなどなくなった、時としてこれらがオリジナルよりも強大になるのですが・・・。
 本作において、天才よりも落伍者にドラマ性を感じるのは、作者が「人間の弱さ」を知っているからなのでしょう。伝聞を基にした形式であるため推測が大半を占めますが、ある箇所において断定的な表現がなされており、そこに強烈なインパクトを感じました。