石川淳

石川淳「飛梅」

愛情のかぎりに光子を育てた大八だったが、帰国してみると光子は不良になっていた。その間育てていた十吉の返事は歯切れが悪い。光子に逢うこと叶わず、ついと大八は立ちあがり、「おれは必ず光子に逢ってみせるぞ」と息まいてようやく外に出て行った。する…

石川淳「喜寿童女」

江戸下谷敷数奇屋町にいた名妓・花は、幼い頃から精気さかんで、生涯に男を知ること千人を越えた。それが天保四年癸巳三月一日、花女七十七歳の喜寿の賀宴のさなか、とつじょ行方知れずになった。そして花女は胡兆新伝来の甘菊の秘法により、老女変じて童女…

石川淳「虎の国」

猿狩を催した中に豪のもの、今枝無利右衛門がいた。猿めを追って山へ分け入れば、いつしか自らも見失う。大脇差の男と出会い、うかがうに、近隣一ところは、今は加賀領でも越前領でもないという。無利右衛門いぶかしげに問う。年貢もなければ掟もないが、酒…

石川淳「六道遊行」

姫のみかどの寵愛をめぐって、はかりごと全盛の平安の世。色香なやましく散る女は、化粧のものか影もなく浮き、葛城山とは逆に行く。小楯がそれとさとって太刀を手に寄ると、追っていくさきに十抱えもあろう杉の大木あり。その穴に踏みこむと、因縁は砂がふ…

石川淳「狂風記」

荒れた裾野はたましいの領地。怨霊の国。えらばれた住民マゴは、ゴミの中からシャベルをつかって骨をさがすと、オシハノミコの因縁でヒメの肌に押しつぶされる。千何百年の歴史をその場に巻きかえし、人間の怨霊が食らいついて離れない。因縁の目方は歴史の…

石川淳「至福千年」

開国と攘夷に揺れ動く幕末の江戸に、人の心をかき乱すものどもが走る。聖教は己の心にありとして、人形の少年を捧げ、白狐を操る老師加茂内規。下下あつめて天地をかえすのは、千年の地上楽園のためにこそ。我が教につくか死か!そこに気合するどく、まて、…

石川淳「おまえの敵はおまえだ」

欲望に油をかけて火をつけろ。けちくさい希望のかけらまで燃やし、希望くさい嫌疑のあるやつは全てたたきつぶせ。そこにわれわれの国、島がうまれる。こっちの夢が悪夢となり可能が不可能となる島が、噴火とともに浮上する。支配をたくらむ人間ども、朝のま…

石川淳「和頭内」

御存じ和唐内、なにをいうかとおもえば「つらくってかならねえ」。豪傑のセリフとも思えない。子分のもーる左衛門、じゃが太郎兵衛は、サーヴィスすなわち百戯すなわち雑芸をうつ。しかるにこれは三日でつぶれた。横町に一日遅れで開幕したこれも百戯の評判…

石川淳「二人権兵衛」

狐を盗んだうんぬんのつべこべ問答のすえ、とぼけ顔のゴンベは船橋の権兵衛と証書をかわした。「首一つ。払えなければ米一俵」。ゴンベは押問答というやつは不得手で、脇差をちらちらさせる権兵衛に負けることはきまっている。それにしても、これはゴンベの…

石川淳「無明」

多賀彌太郎は武家の非礼をこらえかねてなじれば、武家はあざ笑ってののしった。勢い刀をつかむに、さきも手が早い。ただし浅手。彌太郎ひるまず、抜打に一刀、これを斬りたおした。やむをえぬ仕儀、武家の死骸の上に腰かけて、もはやこれまでと切腹、刀をく…

石川淳「変化雑載」

教えられて出向いた寺のうす暗い窓口から、すっと差し出された闇タバコ。いや、タバコよりもその手、その爪、真っ赤なマニキュアが塗られたその艶の出たのが、窓口にながれて眼にしみた。飛び出した細い手が札をつかんで引っこんで、硝子もしまって、後には…

石川淳「ゆう女始末」

ゆう二十六歳は日本橋のど真ん中に住み込んでいるくせに、寄席にも芝居にも興味がなく、見るのも聞くのも政治小説に政治欄。袖ひく男も寄りつきにくく、ゆうは鏡と相談した。ところが明治二十四年のくれ、ゆうの目には夢のうるおいが見えた。――ニコラス様、…

石川淳「小公子」

酔いどれどもが去ったあとに残った客は、若い男ただひとり。主人が「あなたはむかしお見かけたような」と声をかけると、客は「ぼくの生活は明日だけだ。きのうや、きょうのことは、もうおぼえが無い」と答えた。おやじが「また明日きてくれ。きょうの勘定は…

石川淳「曾呂利咄」

奉行石田光成来訪の知らせに、はてと立ち上がった曾呂利新左衛門、これは知部殿と盃あげるが、いや、今宵人知れず参ったのはそなたの智慧を拝借するためだ、まず聴け、と語ったところによれば酒樽が不思議な盗まれ方をするといい、そなたの器量にぜひ頼む、…

石川淳「アルプスの少女」

クララはハイジのはげましのおかげで、立ち上がることが出来るようになった。歩くことが出来るようになったクララに、牧場の生活に気に入らないことがある法はない。けれどもクララの目と足は、牧場とは反対側の村の方に、村よりもずっと向うのほうにむいて…

石川淳「霊薬十二神丹」

助次郎はたわいない口論から蹴たおされ、一刀により肝腎なものをすぽりと切りおとされた。神医につかえてきた弟は、つちかった秘術を兄のために使った。天地の霊をこめた丸薬を用いることで、かのものは元の位置にもどったのである。だが、様子のことなると…

石川淳「修羅」

時は応仁の乱世、小さな戦のひとまず片付いた河原にて。足軽の死骸の間より、ゆらゆらと生身の女がにおい出た。あたりに目をくばったのは、陣から抜け出した山名の姫。都にもおそれられた古市の里に下り、主とちぎりをむすんだ女は数万のかしらとなって都へ…

石川淳「八幡縁起」

石別を抱えた山は、高く天にそびえ、茂みは大山となった。土地で山は神であり、その主である石別は山そのものであった。ある日、はるかかなたに丘がうまれ、それは三七二十一日目に山となった。ふもとの土地で新王の隣にそなえた荒玉は、血をこのむ新しい霊…

石川淳「夜は夜もすがら」

千重子はこれが何語かということすら知らない。この本を眺めているあいだが、一日のうちでもっとも清潔な時間である。字を見ても、字のわけがわからない。おもえば普段の生活の中で、何を見、なにを見たとおもったことだろう。そもそも見るとは何か。悟る、…

石川淳「紫苑物語」

あくる日の狩、国の守である宗頼はおなじほどの年ごろの平太とあった。やつに守の命はつうじず、すさまじい気迫に圧せられ、宗頼ははずかしめを、いや、のろいを受けた。宗頼はふもとから山上を振り返り、敵の背をにらむ・・・。宗頼は民を殺しては、そのあ…

石川淳「黄金伝説」

戦争以来すっかり自分を見うしなったわたしは、いくたびか息絶えようとしたが、狂いながらもカチカチとこの世をきざむ時計の音が、わたしを地上に引きとどめたのだった。そして汽車に乗って諸国を走りまわっては、三つの願いをかなえようとしたのである。狂…

石川淳「焼跡のイエス」

炎天下の雑踏の中、汚らしくみすぼらしい少年があらわれた。顔中膿にまみれ、服と肌のけじめなく、悪臭を放ったひどい生きものである。すると近くをあるくひとのむれを、いきなり恐怖の感情がおそったようだ。だが、少年はひとり涼しそうに遠くを見つめ、ま…

石川淳「マルスの歌」

あの歌が聞えて来ると、わたしは指先のいらだちを感じては原稿をびりびりと引き裂き、感情の整理を試みるが、結局は立ち上がって街頭の流行歌に向かってNO!とさけぶのだ。だが、道行く全ての人間が国威高揚の流行歌「マルス」をあきずに歌っているところ…

石川淳「野ざらし」

東南西にはそれぞれ店があり、北にもなにやら魂胆があるもよう。三つの店を持つ一軒の屋根の下には、三人の人間がすんでいた。ここに人が集まるわけは、あるじの民三のハゲ頭よりも、娘の道子のおかげである。活発で活動的で、東も南も切り盛りしている。西…

石川淳「雪のイブ」

売春婦と泥棒の喧嘩の仲裁に立ち上がった靴磨きの女はなまめかしく、男はついと誘い出す。入った先は西銀座の酒場、酔った女は自然に立膝の姿勢をとり、ズボンの破れ目から白くはだかの肉を光らせる。「行こうよ、ね」。ふりしきる雪は「善悪を知るの樹」も…

石川淳「葦手」

銀二郎と仙吉は女好みが似通っていて、妻や愛人をかかえながら妙子と梅子の元へ通う。わたしはわたしで美代との関係が誤解され、「鉄砲政」に命を狙われる――。わたしは高邁なるものを求めているのだが、この年月の所行は酒と女、ひとりで泣いたり笑ったりと…

石川淳「明月珠」

正月元旦、わたしが神社にかけた願い、それは、一日も早く自転車に乗れるようになりますように――。自転車に乗れないために就職出来なかったわたしとしては、暗い地下から脱出して明るい地上に生きるために、なんとしても自転車に乗れるようにならなくてはな…

石川淳「虹」

公私共に充実した社長・大給小助のもとに、突然かかってきた一本の電話。それはあらゆる嫌疑を不思議と逃れ、時代の寵児となった悪魔・朽木久太からのものだった。奴は何を考えているのか、何を起こそうとしているのか。小助は得意の弓を持った。この来訪者…

石川淳「鷹」

たばこ会社を解雇された国助が呆けていると、Kと名のる男が近づいてきた。「仕事が無いのか?あしたの朝、ここへ行ってみたまえ」。与えられたのは、運河のほとりの家の地図。宿がもらえ、仕事があたえられ、それは煙草を運搬するという単純な仕事であった…