石川淳「おまえの敵はおまえだ」

 欲望に油をかけて火をつけろ。けちくさい希望のかけらまで燃やし、希望くさい嫌疑のあるやつは全てたたきつぶせ。そこにわれわれの国、島がうまれる。こっちの夢が悪夢となり可能が不可能となる島が、噴火とともに浮上する。支配をたくらむ人間ども、朝のまえの夜での攻防の果てに、おまへの友はどこにもいない。おまえの敵はおまえだ。

 戯曲。混沌の渦の果てに生まれる世界で、支配・影響力を求める人間の姿が描かれます。観念の主・渡が狙うビッグバン的パワーに対して、実在の主(端的に申し上げれば暴力団の組長)・井戸が戦いを挑みます。精神の王様・石川淳的にその戦いは全く勝負にならないのですが、そこに常に事件の中心部を狙うスナイパー・梶原が絡んでくることで、戦いは新たな局面を迎えます。
 社会における戦の果てに中心点(もちろん観念的な)に到達した人物は、満足(小説内では「ダイスの並び方」)と引き換えに、梶原の登場を呼びます。梶原の狙いは中心を砕くことにあり、その結果生じる混沌はしったこっちゃねぇという立場ですが、彼は破壊と秩序の繰り返しを行う運命の担い手であり、常に進化を望む人間により作られた世界の象徴なのでしょうか。
 果てしない欲望を持つ人間たちは、世界をまっすぐ突き進むほか道はありません。その挙句に自分の姿が変わってしまっても、後悔することは許されません。もし後悔したり、過去を悔いたりしてしまったら、それは中心から外れたことを認めることであり、過去を懐かしみ現在を憎み、ひいては自分の存在を否定することになります。よって、自分の敵は自分にあり。