物語の宴

石川淳「虎の国」

猿狩を催した中に豪のもの、今枝無利右衛門がいた。猿めを追って山へ分け入れば、いつしか自らも見失う。大脇差の男と出会い、うかがうに、近隣一ところは、今は加賀領でも越前領でもないという。無利右衛門いぶかしげに問う。年貢もなければ掟もないが、酒…

新美南吉「おじいさんのランプ」

東一君が倉の隅から持ち出してきた、おじいさんの思い出のランプ・・・それは50年ぐらい前の話である。仕事を探していた十三才の巳之助は、ある日隣町でランプを見つけた。少年の村にはランプなんてなかったため、美しく明かるいランプに見とれ、そして思っ…

中島敦「狐憑」

弟の惨殺を直視して以来、シャクは妙なうわごとを言うようになった。一同はそれを弟の霊が喋っているのだと結論した。だが、シャクの言ううわごとは日に日に多彩になっていった。人々は珍しがってシャクのうわ言を聞きに来た。だが、あるとき一人の聴衆が言…

石川淳「六道遊行」

姫のみかどの寵愛をめぐって、はかりごと全盛の平安の世。色香なやましく散る女は、化粧のものか影もなく浮き、葛城山とは逆に行く。小楯がそれとさとって太刀を手に寄ると、追っていくさきに十抱えもあろう杉の大木あり。その穴に踏みこむと、因縁は砂がふ…

石川淳「狂風記」

荒れた裾野はたましいの領地。怨霊の国。えらばれた住民マゴは、ゴミの中からシャベルをつかって骨をさがすと、オシハノミコの因縁でヒメの肌に押しつぶされる。千何百年の歴史をその場に巻きかえし、人間の怨霊が食らいついて離れない。因縁の目方は歴史の…

久生十蘭「母子像」

和泉太郎、中学一年B組。父は死亡、母は将校慰安所を切りまわしていたが、戦災により認定死亡。「釈放しようと思うのですが、実は、かんばしくない報告が相当・・・先生、あの子は何か過去に辛いことがあったのではないでしょうか」「あれは、母親の手で首…

久生十蘭「湖畔」

貴様も諒解することと思うが、自由に対する執着から、俺は情人とともに失踪して新生活をはじめることにした。俺は華族の論客として名声を高めてきたが、実際は避け難い猜疑心と卑屈な根性を持つ、低劣臆病な人間なのだ。この夏、俺は貴様の母を手にかけたが…

石川淳「至福千年」

開国と攘夷に揺れ動く幕末の江戸に、人の心をかき乱すものどもが走る。聖教は己の心にありとして、人形の少年を捧げ、白狐を操る老師加茂内規。下下あつめて天地をかえすのは、千年の地上楽園のためにこそ。我が教につくか死か!そこに気合するどく、まて、…

武田泰淳「女賊の哲学」

美しく賢い、しかも強い第二夫人に暗い過去がかくされていようなどとは、誰も想像できなかった。ある朝、城に向って白蓮教の集団が迫ってきたのである。夫の県長はいつまでも来ない援軍を求めながら、次第に発狂したようになった。第一夫人が「私たちを救っ…

坂口安吾「街はふるさと」

悪人の利己主義者、金銭至上の合理主義者、センチな貧乏者、決断出来ない子供、達観した神様、娼婦、ギャング。京都と東京をまたにかけ、彼らは動く。ある者は運命に流され、ある者は逆らって生きている。無だと言われ、蔑まれ、それでも男は「生き抜く」と…

石川淳「おまえの敵はおまえだ」

欲望に油をかけて火をつけろ。けちくさい希望のかけらまで燃やし、希望くさい嫌疑のあるやつは全てたたきつぶせ。そこにわれわれの国、島がうまれる。こっちの夢が悪夢となり可能が不可能となる島が、噴火とともに浮上する。支配をたくらむ人間ども、朝のま…

開高健「ロマネ・コンティ・一九三五年」

冬の日の午後遅く、小説家と重役が、広いテーブルをはさんですわっていた。二人の間には酒瓶がおいてある。本場中の本場、本物中の本物、ロマネ・コンティ。「・・・では」とつぶやいた小説家は、暗い果実をくちびるにはこぶ。流れは口に入り、舌のうえを離…

大佛次郎「スイッチョねこ」

お母さんねこのちゅういをきかないで、いたずらな白吉は虫を食べようとしてまっていました。そのうちに白吉はいねむりをはじめました。するととつぜん、口の中に虫がとびこんできて、それを白吉はむちゅうでごっくんとのみこんでしまったのです。それいらい…

大江健三郎「河馬に噛まれる」

僕はある日、アフリカで日本人の青年が河馬に噛まれて怪我をしたという新聞の記事を読んだ。「河馬の勇士」と綽名されるその男は、かつて僕とわずかながら関わりのあった青年で、彼のアフリカ行きには僕にも責任があるようだ。彼との関係のはじまりは、彼の母…

横光利一「時間」

リーダーが金を持って逃げたために宿代が払えなくなった芸人一座。さらに1人逃げ、2人逃げ、残った者は私を含めて12名の男女。「これ以上の抜け駆けは許さない」と互いを監視し、「逃げるときは一緒だ」と脱出の相談を始める・・・。降り続く豪雨の中、動物…

三島由紀夫「橋づくし」

三人にはそれぞれ切実な願いがある。それはいずれも人間らしいものだから、月は叶えてやろうと思うにちがいない。けれども今夜は同行者がいる。無口で醜い女中のみなである。みなにも願いがあるのだろうか、生意気に。――月下に七つの橋を渡る散歩には、いく…

石川淳「無明」

多賀彌太郎は武家の非礼をこらえかねてなじれば、武家はあざ笑ってののしった。勢い刀をつかむに、さきも手が早い。ただし浅手。彌太郎ひるまず、抜打に一刀、これを斬りたおした。やむをえぬ仕儀、武家の死骸の上に腰かけて、もはやこれまでと切腹、刀をく…

坂口安吾「信長」

天下に名だたる大タワケ・織田信長。彼の兵法を配下の武将たちは全く理解できないでいた。彼らは考えた。今川義元が攻めてくるまでの時間の問題である。だが、美濃のマムシ殿だけは違っていた。信長が大バカと言ったのはどこのどいつだ?・・・放埓の果てに…

大江健三郎「空の怪物アグイー」

著名な若い作曲家Dのもとには、ときどき空の高みから「あれ」が降りてくるのだ。カンガルーほどの大きさの赤んぼう、エゴイスティックな意思から、かつて殺してしまった赤んぼう・・・。「きみはまだ若いから、失った大事なものをいつまでも忘れられずに、そ…

福永武彦「退屈な少年」

十四歳の健二は退屈しきっていた。もちろん面白そうな動物や植物はある。けれどもいったん退屈であると宣言した以上は、何がなんでも退屈でなければならなかったのだ。僕はもう子供じゃない――。退屈で退屈でしかたがない健二少年、看護婦の三沢さん、少年の…

松本清張「青のある断層」

天才画家・姉川の不調に気づいていたのは、画商・奥野の確かな眼だけだった。姉川は元来寡作なため一般に気づかれてはいないが、二年前をピークに彼の才能は行きづまりを見せていた・・・。そのとき、奥野の店に入ってきた若い男。売り込みである。下手だ。…

武田泰淳「夜の虹」

唐木は「思想犯」として捕らえられているが、実は彼は「殺人犯」でもあった。このことは秘密である。またこの空襲下では、知られるはずもないという安心感もあった。だが、留置場に最近、脱獄の名人・石田が収監されてきた。彼は明確な「殺人犯」であった。…

中島敦「李陵」

騎都尉・李陵は僅かの兵を率いて出撃、優れた戦術と力量を持って強敵・匈奴を大混乱に陥れるが、内通に遭い敗北、囚われの身となる。それを聞いた祖国・漢では、皇帝・武帝を前に、諸侯が生き永らえた李陵を売国奴と罵っていた。黙して語らぬ者もいたが、そ…

井上靖「闘牛」

大スタンドの中央で行われる競技、乱れとぶ札束、どよめく観衆・・・闘牛大会のプランを聞いたとき、新聞局長・津上の頭の中ではこれらの情景が自然に浮かんだ。だが、直前まで起こるトラブルの数々は心配の種をつきさせない。そんな中、津上の背中を見なが…

竹ノ内静雄「ロッダム号の船長」

ロッダム号の船長としてサン・ピエールの港に寄航した私は、オーギュスト・モーラスと挨拶を交わしていました。私の妻から彼の妻への指輪のプレゼントを渡し、会話を楽しんでいたときのことです。身体を一種の鋭い身ぶるいが走り抜けたと思うと、次の瞬間、…

井上靖「黄色い鞄」

パパの金を持ってきたことがバレたのかしら。マリが連行された東京駅の二階の部屋には、黄色い鞄をもった男女4人が腰掛けていた。彫りの深い顔に皮肉な薄笑いをした湊東平、興奮気味のサラリーマン・西島五助、「出て行って!」と言ったら出て行きっぱなし…

石川淳「葦手」

銀二郎と仙吉は女好みが似通っていて、妻や愛人をかかえながら妙子と梅子の元へ通う。わたしはわたしで美代との関係が誤解され、「鉄砲政」に命を狙われる――。わたしは高邁なるものを求めているのだが、この年月の所行は酒と女、ひとりで泣いたり笑ったりと…

大岡昇平「春の夜の出来事」

女道楽は仕放題、女房子供は放ったらかし、それが俳優の常識だった時代である。美男俳優の夫は失踪し、息子・太郎はすでに一人立ちしていた。そしてある夜のこと――母・露子の家に泥棒が入った。露子は、様子を見に行った太郎の叫びを聞く。「人が死んでる」…

梅崎春生「桜島」

対岸は相変わらず同じところから出火しており、もはや消火する気力を失ったようである。確実に敗北と死が迫っている。なぜだ。なぜ、私はここで死ななければならないんだ。日本は私に何をしてくれたのだ。この桜島は私の青春にどういう意味を持つんだ。私は…

牧野信一「月あかり」

誰も彼もがあだ名で呼び合っている村のお話である。何故かこのあたりでは古来から大概の男は仇名の方が有名で、いつの間にか当人さえも自分の本名を忘れている者さえ珍しくありません。私にくる音取かく(おかく)からの手紙の宛先も間違いだらけで、牧野が…