開高健「ロマネ・コンティ・一九三五年」

 冬の日の午後遅く、小説家と重役が、広いテーブルをはさんですわっていた。二人の間には酒瓶がおいてある。本場中の本場、本物中の本物、ロマネ・コンティ。「・・・では」とつぶやいた小説家は、暗い果実をくちびるにはこぶ。流れは口に入り、舌のうえを離れ、集り、そして――小説家はある感慨とともに、灰青色の瞳をした女を思いだしていく。

ロマネ・コンティ・一九三五年 六つの短篇小説 (文春文庫)

ロマネ・コンティ・一九三五年 六つの短篇小説 (文春文庫)

 伝説的なワインを最高級の期待に満ちて飲んだとき・・・得られた感覚が舌から上がり、脳髄はその流れを受け入れます。その芳醇さに完全に包まれた小説家は、思考をワインの範囲内にとどめておくことなど到底出来ず、すっかり忘れていた女性との思い出の箱を開け、その中にまで流れ込んでいきます。それらの異世界を全く同一なものとして感覚の中腹で描ききった文体と、舞台転換の巧みさとそれによって引き出される緩急が見所です。