梅崎春生「桜島」

 対岸は相変わらず同じところから出火しており、もはや消火する気力を失ったようである。確実に敗北と死が迫っている。なぜだ。なぜ、私はここで死ななければならないんだ。日本は私に何をしてくれたのだ。この桜島は私の青春にどういう意味を持つんだ。私は何のために生きてきたんだ。なぜ、私は生きているんだ・・・。暗号文は、ヒロシマの破壊を告げた。

桜島・日の果て・幻化 (講談社文芸文庫)

桜島・日の果て・幻化 (講談社文芸文庫)

 桜島で迎えた戦争末期。確実な敗北(=死、と考えられていた)が近づく中、主人公は軍の中で、瞬時の緊張と微妙な弛緩が繰り返される奇妙な時を過ごします。
 様々な状況における人間心理について、自己解説によって完結させてから次に進むため、引っかかることなく読み進めやすいと思います。片耳の芸者との語らい、草原での見張り兵との会話、熱気が高まる宴会シーン、そしてラストと、印象的な名場面が満載。映画「ディア・ハンター」の感覚を思い起こさせる、抑揚の効いた傑作!

 志願兵の頃から、精神棒などで痛めつけられていた間、他の人間ならば諦めて忍従して行くところを、おそらくは胸に悲しい復讐の気持ちを、自ら意識せずに育てて行ったにちがいない。人間の心の奥底にある極度に非常なものを、育てて行き、磨いて行きそれを自我にまで広げて行ったに違いない。やっと兵曹長となり、一応の余裕が出来て、あたりを見回した時、ひそかに育てて来た復讐の牙は、実は虚しいものに擬せられてあったことに気づいたに違いないのだ。彼は牙を、自分自身に突き刺すより仕方がなかったのだ。