久生十蘭「湖畔」

 貴様も諒解することと思うが、自由に対する執着から、俺は情人とともに失踪して新生活をはじめることにした。俺は華族の論客として名声を高めてきたが、実際は避け難い猜疑心と卑屈な根性を持つ、低劣臆病な人間なのだ。この夏、俺は貴様の母を手にかけたが、子に対する父の礼儀として、その間の拠所ない事情を仔細に書きつけておく。

湖畔・ハムレット 久生十蘭作品集 (講談社文芸文庫)

湖畔・ハムレット 久生十蘭作品集 (講談社文芸文庫)

傲慢な俺の手記という形で描かれる二転三転のサスペンス。自分の対面を取り繕うために、周囲の犠牲を強いる俺ですが、その傲慢な心は、とある方向へと舵をとります。その先に見えるものは、そこまでの過程のを思えば、意外なほどの色彩をしています。