石川淳「至福千年」

 開国と攘夷に揺れ動く幕末の江戸に、人の心をかき乱すものどもが走る。聖教は己の心にありとして、人形の少年を捧げ、白狐を操る老師加茂内規。下下あつめて天地をかえすのは、千年の地上楽園のためにこそ。我が教につくか死か!そこに気合するどく、まて、との声が。霊の宿った枝を片手に現れて、松師は乱を防がんとする。江戸市民を巻き込んだ争いの間に、うかびでるのは無と夢の二字。だが、まず、水。

至福千年 (岩波文庫 緑 94-2)

至福千年 (岩波文庫 緑 94-2)

 幕末を舞台に、暗躍する巨大な悪とゆるぎない善の戦いを描いた、エンターテイメント性の高い傑作。大老井伊直弼の傍らを、駆ける白狐の巨大な影。「妖術」を使う者どもの争いは奇想天外で予想外。そもそも、強い悪人が登場する小説が、面白くないわけありません。
 悪が栄えるのは世の常ですが、権力が強大になるにつれて、利己的な奴らがたどり着く結末は、特定の形を描くことでしょう。時代を動かしているつもりでも、事実は時代に動かされているだけ・・・あらゆるものを空中に放り出してしまう大胆不敵で気分いいラストまで、見所だらけの作品です。
 もちろん全てを支えているのは、石川淳の卓越した描写力。江戸が目の前に現れてきて、当時の信仰心など、舞台背景も楽しめることでしょう。