坂口安吾「信長」

 天下に名だたる大タワケ・織田信長。彼の兵法を配下の武将たちは全く理解できないでいた。彼らは考えた。今川義元が攻めてくるまでの時間の問題である。だが、美濃のマムシ殿だけは違っていた。信長が大バカと言ったのはどこのどいつだ?・・・放埓の果てに得た実証精神を貫く生き様。美濃の斎藤道三との出会いから桶狭間の戦いまで。

信長・イノチガケ (講談社文芸文庫)

信長・イノチガケ (講談社文芸文庫)

 織田信長について書かれた本はたくさんありますが、本書はきわめて異質です。それはこれが歴史的事実(つまり外側)から信長像を構築したものではなく、独自の信念や精神を軸に内側から描いたものだからです。
 信長の多くの言動について、作者の坂口安吾は至極当たり前のことのように記します。他の歴史書のように、彼の言動を驚きをもって書き、偉大さを強調することなどありません。こうしたアプローチが有効だったのは、安吾が信長と同じ精神を有していたからに他なりません。安吾は信長像を「作る」必要などありませんでした。「自分だったらどうするか?どう思うか?」を考えれば、それだけで事足りたのです。
 安吾は信長について、偉大な人物としてすら捕らえていなかったはずです。自分が独歩している道と近いところを、数百年前に歩いたヤクザな兄さんといった程度でしょう。だから安吾は奇人と言われた信長の行動に、何の不思議も感じてはいません。むしろ、信長を理解しない周囲の人間を、不思議そうに描くのです。つまり本書で描写されるのは、ヴィヴィッドで魅力的な織田信長像と、坂口安吾自身の確固たる信念ある生き方です。

 バカどころか、薄気味のわるい小僧だ。オレの秘伝をそっくり盗んで、オレの上のことをやってやがる。