石川淳「六道遊行」

 姫のみかどの寵愛をめぐって、はかりごと全盛の平安の世。色香なやましく散る女は、化粧のものか影もなく浮き、葛城山とは逆に行く。小楯がそれとさとって太刀を手に寄ると、追っていくさきに十抱えもあろう杉の大木あり。その穴に踏みこむと、因縁は砂がふり、流されるに、そこは1000年の後となる。体をみがくことに没頭する真玉が、自らの中心にいた。

六道遊行 (集英社文庫)

六道遊行 (集英社文庫)

 構成もしっかりしており、石川淳の後期長編小説の中では抜群に読みやすく、面白い作品です。
 1000年のときを隔てて移動する運命となった、盗賊の頭・小楯。現代と平安の世で、たとえば権力をめぐっての人間の小ざかしさ醜さなど、人間の活動に何ら変わりはありません。しかし、その中にも「恋」を信じる動きあり、小楯はその力のまことに賭けます。
 世俗を駈ける盗賊の頭は、形あるものはすべて盗めることから、形のない術の力を得ようとします。それは自らの力のためではなく、ただ、行うために行うもの。それが可能なのは、小楯の中心にしっかりとしたものがそそり立っているためでした。それが巨大であればあるほど、その存在と実力に行く末を賭けることが出来るのです。

 「かたちあって、こころなきがごときものだ。かなたの世界では物がおびただしい繁昌と見える。人間まで物よ。生きてはいても、こころが抜けて、右往左往、めいめい勝手にあばれまわって始末がつかぬ。やつらは壺のように口にあけて、おれのこころを吸いこみにかかる。やつらのそばに寄ると、おれもまた物にされてしまいそうだ。物の魔力。おれはその力とたたかって、ながれてゆく白玉から目を離さない。」

 「せっかくだが、おれがここに立っているかぎり、車はうごかぬぞ。うつくしいとやらいうからだは宙ぶらりんだな。いかなる力がどこにはたらくか。おぬしはおのれの身一つを見て、ほかにはなにも見えぬらしい。目をひらけ」

六道遊行

六道遊行