石川淳「夜は夜もすがら」

 千重子はこれが何語かということすら知らない。この本を眺めているあいだが、一日のうちでもっとも清潔な時間である。字を見ても、字のわけがわからない。おもえば普段の生活の中で、何を見、なにを見たとおもったことだろう。そもそも見るとは何か。悟る、悟らないという言葉があるが、えらそうに、なにいってやがんだい。この世界には物質のほかはなにも無いし、物質は絶えずうごくものじゃないか。

 確実な朝と昼を経て、時は夜に切り換わります。物質だけがのさばって、顔と顔が接しては、記憶にのこらず流れていく時間帯です。そしてもう一度朝になるとき、夜の存在はどうなるのでしょう。「夜」への作者の思いがこめられたのか、「夜」の魅力を作者が引き出したのかは分かりませんが、描写の色気とともに印象的な作品です。

 人間も絶えずうごいて、道の曲り角なんぞでひょっくり物質にぶつかったらば百年目、これと取っ組みあいをするよりほかに世界と附合いようは無いじゃないか。