福永武彦「廃市」

 十年も昔のことである。その時僕は卒業論文を書くために、一夏をその町のその旧家で過した。ひっそりとして廃墟のような寂しさのある町。古びた、しかし、すばらしく美しい町。だが、僕は知らなかった。この町の穏やかで静かな生活に隠された意味が何であるかを。そしてそれが真の悲劇に発展する可能性を持っていたことを――。

廃市/飛ぶ男 (新潮文庫 草 115-3)

廃市/飛ぶ男 (新潮文庫 草 115-3)

 退廃の雰囲気に満ちた捨てられた町で、滅び行く運命とともに暮らす古風な人々を、スローペースで描いた静かな叙事詩
 彼らが水面で舞う年に一度のお祭りの日、裏では悲劇のプロローグが進行していました。普段物静かな彼らが声高になるとき、それは辺りの錆びれた空気とはそぐわないのですが、だからこそ必死さと絶望感が切ない悲鳴となって木霊し、「僕」と同様にそれは強烈に記憶に残ります。雰囲気といい調子といい、夏目漱石「こころ」やビスコンティ監督の映画「ベニスに死す」と似た感じを抱きました。