埴谷雄高「《私》のいない夢」

 暁方、白昼への目覚めが促されるとき、私は両腕をゆっくりと宙につきだしてみる。なぜなら白昼における存在は《それがそうとしか見えず、他の何をも考えられない》という罠であるから・・・。その時期、私は《私のいない夢》を敢えてみようと試みていたのだが、それは或る朝こういう夢をみたことに由来する。

闇のなかの黒い馬

闇のなかの黒い馬

 悪夢のような「私のいない夢」。そこでの「命」は命としての本来の価値を持っておらず、自己の「存在」を示すためにしかありません。死んでしまっても「命」の役割は果たされるのです。けれども「存在」とは「命」があってこそであり、この矛盾に不思議を感じること思います。そして迎えるラストは衝撃的で、まるで映像を見ているかのごとくに「あっ!」と叫んでしまう意外を感じ、そのための場を作り上げてきた、作者の妙技に震える凄さを感じました。