石川淳「アルプスの少女」

 クララはハイジのはげましのおかげで、立ち上がることが出来るようになった。歩くことが出来るようになったクララに、牧場の生活に気に入らないことがある法はない。けれどもクララの目と足は、牧場とは反対側の村の方に、村よりもずっと向うのほうにむいていた。牧場に不満もないけれども、見知らぬ町、めずらしい土地に走って行きたいのである。

石川淳全集〈第5巻〉

石川淳全集〈第5巻〉

 石川淳が「アルプスの少女ハイジ」を分解し、再びくっつけ直してみたら、こんな話になってしまいました。氏のらしさ全開の傑作パロディ。
 穏やかで何の不満もない牧場と、危険がいっぱいのふもとの村が対比されます。それはそれは、牧場は幸せでしょう。牧場の穏やかさは、昨日も今日も明日も変わりません。未来の予想が可能です。安定した、穏やかな日々が待っていることでしょう。
 けれども、ふもとの村は変わり続けます。未来がどうなるのかなんて、誰にも分かりません。乱暴で、血が流れるかもしれません。苦しむことが分かっていても、けれども、行け、走れ、それが生きるということだ・・・。寝ながら生きるより、動いて死ね!石川淳らしい力強さです。

 「ハイジにさよならもいわないで別れるのは、とても悲しいわ。それでも、逢ってさよならをいえば、もっと悲しいにちがいない。いっそ行くのをやめにして、いつまでもこの山の上にとどまっていようかしら。」
 「いや、とんでもない、そうはさせない。」
 足がおこってものをいったようであった。