石川淳「野ざらし」

 東南西にはそれぞれ店があり、北にもなにやら魂胆があるもよう。三つの店を持つ一軒の屋根の下には、三人の人間がすんでいた。ここに人が集まるわけは、あるじの民三のハゲ頭よりも、娘の道子のおかげである。活発で活動的で、東も南も切り盛りしている。西の飲み屋だけは民三がしきっており、今日も酔いとともに演説をぶちはじめたそのころ、北の空き地に寄り添う影があることを知る者はいない。


 「過去」を持ちながら、あらゆる顔(店)を外に向けて「現代」を生き抜いてきた親父の次なる興味は「未来」でしたが、「現代」を今まさに生きている人間にとって、先へ進むことなどもったいなく、物足りなかったに違いなく。
 時代への認識がずれていた人々の末路は、ラストの爆笑紙芝居(いや、ほんとに!)に集約されます。過去を振り返ったり、未来のために生きたりするよりも、現代・今を生きることが大事であるという、作者・石川淳らしい強い認識がここでもうかがえます。

 「自分の相手はこどもだ。目標はこれからの世の中だ。今のおとな、今の世の中のことは自分にはなにもわからん。またわかりたくもない。(略)自分は紙芝居をもって文化運動の第一歩とする。大道でこどもにはなしかける。こどもをたのしませる。自分もまたいっしょにたのしむ。自分はこどもになった。」