石川淳「明月珠」

 正月元旦、わたしが神社にかけた願い、それは、一日も早く自転車に乗れるようになりますように――。自転車に乗れないために就職出来なかったわたしとしては、暗い地下から脱出して明るい地上に生きるために、なんとしても自転車に乗れるようにならなくてはならない。晴れた広場で少女に教わり練習するが、もともと運動は苦手なため相当の月日が過ぎる。

 月夜に行う自転車練習、そのイメージがきれいに残る作品です。どんどん前へ突っ走ることよりも、まずは自分の足元を固めること。足元がしっかりしてさえいれば散歩も楽だし、いざという時には大ジャンプして空を飛ぶことも出来る。――そういった作者・石川淳の、若くて溌剌とした意気込みがうかがえて、読み終えると前向きな気持ちになれる作品です。

 「おじさん。それじゃとても曲芸はできないわよ。」
 曲芸。とんでもない。わたしにしても身のほどは知っている。そんな高望みはしない。ただわたしの一所懸命の運動が地べたに閉曲線を描くにおわらないように、元の地下一尺の凹みに落ちこまないようにと念願するばかりである。