石川淳「明月珠」
正月元旦、わたしが神社にかけた願い、それは、一日も早く自転車に乗れるようになりますように――。自転車に乗れないために就職出来なかったわたしとしては、暗い地下から脱出して明るい地上に生きるために、なんとしても自転車に乗れるようにならなくてはならない。晴れた広場で少女に教わり練習するが、もともと運動は苦手なため相当の月日が過ぎる。
現代日本の文学 (18) 曾呂利噺、白猫・明月珠・焼跡のイエス・鷹・虹・八幡縁起・修羅・諸国畸人伝
- 作者: 石川淳,足立巻一
- 出版社/メーカー: 学研
- 発売日: 1978
- メディア: 単行本
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「おじさん。それじゃとても曲芸はできないわよ。」
曲芸。とんでもない。わたしにしても身のほどは知っている。そんな高望みはしない。ただわたしの一所懸命の運動が地べたに閉曲線を描くにおわらないように、元の地下一尺の凹みに落ちこまないようにと念願するばかりである。