石川淳「焼跡のイエス」

 炎天下の雑踏の中、汚らしくみすぼらしい少年があらわれた。顔中膿にまみれ、服と肌のけじめなく、悪臭を放ったひどい生きものである。すると近くをあるくひとのむれを、いきなり恐怖の感情がおそったようだ。だが、少年はひとり涼しそうに遠くを見つめ、まるで人間どもが右往左往としてる中に、一人権威を携えて自ら決めた道を歩いている人間のように思われた。

石川淳 (ちくま日本文学全集 11)

石川淳 (ちくま日本文学全集 11)

 石川淳、初期の傑作。人間のリアルな姿を描くのが小説であるならば、周囲を覆っているモラルや常識を奪い取った環境中に放り出してやればよく、「究極の雑踏」もその1つだと思われます。そこに登場した少年は狂った意識を集中させ、侮蔑や怒りといった感情、つまりはモラルや常識を復活させてしまった模様です。このあとの後半にも面白い展開が待っており、冒頭1行目の長文から熱い!熱い!小説です。

 混乱の世にあっては、イエスもまた他人のパンを奪うにちがいない。そして、誰にも邪魔されずパンを奪うことができるゆえに、かれは神の子キリストなのである。(松本健一ドストエフスキイと日本人」)
焼跡のイエス/処女懐胎 (新潮文庫 い 3-1)

焼跡のイエス/処女懐胎 (新潮文庫 い 3-1)