石上玄一郎「鵲」

 相変わらず雑踏している上海の街。そこに一人の老人が坐っていたが、彼は腕組みをしたまま眠っていた。道に記した文章で同情をひく乞食の一人であるようだ。何気なく行き過ぎようとしたが、まれに見る書体の美しさと卓抜な行文が、行きどころのない私の足を停めさせた――。その文面は中国そのものであり、一年後、終戦により立場が置き換わったときまで、私の心に残った。


 このときの上海のような空間は、今の日本の都会において見られるものと同じです。雑多というだけあって、そこには様々な人種が生息しており、彼らが巻き起こすうねりが時代を作ります。
 けれども、ふと立ち止った人の目は、その中にあって全く動かないものに注目してしまうものです。確かな存在。強い自我。いや、ただ眠っているだけ?
 時代によって変わるものと変わらないものを「私」の目は捉えます。何気ない風景の中に存在を感じ、書も理解できるとは、さすが自分。でも、実は・・・という「1年後」の展開など、風刺の精神もそこかしこに見られる好調な作品です。

 上海はおかしな街だ。
 ここではあらゆる雑多なもの、似ても似つかぬもの、さては互に矛盾したものが、そしらぬ顔で同居している。