石川淳「虹」

 公私共に充実した社長・大給小助のもとに、突然かかってきた一本の電話。それはあらゆる嫌疑を不思議と逃れ、時代の寵児となった悪魔・朽木久太からのものだった。奴は何を考えているのか、何を起こそうとしているのか。小助は得意の弓を持った。この来訪者はこれをもって迎えるほかしかあるまい・・・。たった一晩の出来事の幕が、こうして切って落とされた。

 順風満帆な生活を送る会社社長の前に、突然現われた悪魔の申し子。社長を中心とした世界に出来ていた規律、序列、形を徹底的に破壊して、大きな鍋で混ぜまくります。劇画的でアバンギャルドな展開につながります。
 現実世界で有用かつ権威を持った存在は、すべて“朽木ワールド”に入った途端に「意味」を失い、滑稽で無意味な登場人物AやBやCになり下がり、個はただの群れになります。あらゆる外面、レッテルを溶かす朽木の武器は、饒舌な「観念」です。これは観念が実在を圧倒しつづける小説ですが、紙に書かれたものである以上、ココに実在しています。ラストの意外な展開は、この矛盾を解決するためのものだと思いました。

 そういっても、ひとびとはなにをあおぎ見たのか。ひとびとがそれを見たとおもったところに、久太がいたかどうか判然としなかった。