開高健「日本三文オペラ」

 フクスケが連れていかれたゆがんだ家では、大男たちが洗面器に入った牛の臓物を食っている最中だった。元陸軍砲兵工廠の杉山鉱山から豊富な鉄を笑うために、住民800人全部が泥棒となった部落・アパッチ族。そこでは親分、先頭、ザコ、渡し、もぐりなど見事な分業制が確立していた。合掌の手で働けば無尽の宝を出す――。今晩も彼らは、警察の目をくぐり抜ける対策を練っては、笑うために出動する。

日本三文オペラ (新潮文庫)

日本三文オペラ (新潮文庫)

 陽気でめちゃくちゃな人物たちが暮らす泥棒たちの村。その生活ぶりを開高健が描くとなると、その生命力、その強欲ぶり、その逃げ足の早さなど、人間がいかにゴキブリ並みであるかということが分かります(もちろんこれは褒め言葉)。また、完全な自由と公平の下に、見事に合理的なシステムが出来上がっており、それはある種の理想郷!
 得られる対価が徒労を大幅に上回っているために、強烈なキャラクターたちによる狂的な活動が繰り広げられます。そのパワフルさと暑苦しさに読者は目を回してしまいますが、警察の取締りが強化されるとともに、次第に貧困を土壌にした現実感がジワリジワリと顔を出してきます。その移行がごく自然に行われるところが、作者の筆力のすごさなのでしょう。
 なお、「スパイ探し」の方向に進化してそれを結末に持ってくるようなストーリーではありませんので、主要登場人物にあらぬ疑いをかけてしまいませんように・・・。もうひとつ、ここでの「笑う」=「盗む」ですが、それとは別に、映画用語では「笑う」=「動く」であると、古今亭志ん朝が何かのまくらで言ってました。

 彼らは口ぐちに叫びながら、おしあい、へしあい、わけもわからず方角も知らずに、ピッタリ一団となって走った。それはイワシの群れの回遊現象そのままの光景であった。この光景を見るたびにフクスケは、つくづく、人間は逃げるときだけしか団結しないものであると思うのである。