石上玄一郎「精神病学教室」

 まったく自信がもてない医師・高津に、教授は手術を薦めてきた。「患者の危険も、時によってはやむを得ないものだ」。一方では、親友に死期が迫っている者がおり、高津は彼には延命をこころみる・・・。ここに現代医学から絶望視された二人の患者がある。彼らに対する応対の違いは、高津が昇ろうとする梯子の揺れにつながっていく。冷酷なのか感傷なのか無益なシーソーはつづき、高津は圧迫されていく。

石上玄一郎作品集 (第1巻)

石上玄一郎作品集 (第1巻)

 「医者」と「人間」との狭間でゆれる心理を描いた作品として、遠藤周作「海と毒薬」とならぶものだと思っています。
 生活の向上、学問の習熟は、すべて失敗の上に成り立っています。人は失敗することでしか成長しません。とはいえ、医師における失敗とは人命を左右するもの・・・。生真面目な青年は医師としての使命をまっとうしようとするあまり、人間としての生き方を見失ってしまいます。

 「いやしかし僕らはもしかすると精神病者を療すんじゃなくってむしろつくっているのかもしれませんね、本来は精神病者のために精神病院があるわけなんでしょう。それがいつの間にか精神病院のために精神病者があるようになるんですよ、へんなことを言うようですが・・・だから精神病者がなくなったら精神病院が慌ててそれをこさえるかもしれませんよ。(中略) 事実そうじゃありませんか、われわれは職業意識という奴で、外を歩いていても、ともすると人々が精神病者にみえてならないし、またここへ来たものは一応精神病者じゃないかと思ってみる。それぐらいだからたとえここへ正気な者が舞い込んできたにしても、きっとなんとか理窟をつけてそれを精神病者にしてしまうに相違ありませんよ。もっとも両者の間には絶対的な区別はないんですから・・・。しかしなにも精神病院だけではなく、世の中には人間の造った制度や機構が逆に人間を支配するようになるという奇妙なことは往々にしてあるんですがね」