中島敦「悟浄出世」

 悟浄は病気だった。彼は一万三千の妖怪の中で、最も心が弱い生き物だった。「俺は莫迦だ」とか「俺はもう駄目だ」とか「どうして俺はこうなんだろう」とか呟いていたのである。医師の魚妖怪に「この病には自分で治すよりほかは無いのじゃ」と言われ、とうとう悟浄は旅に出た。不安、後悔、呵責等がどうにかして癒されることを求めて――。

 主人公による自分探しの旅。これは彼の姿を追いながら、読者が自分に近い妖怪(=生き方)を探し出す小説です。生き方を見つけようとしている人、けれども見つけられずにいる人、あるいはまた、自分について悩むステージにいる人が読むと、様々な示唆が与えられると思います。悟浄とともに旅に出よう!
 ズバリの解答が得られるかどうかはわかりませんが、豊富な選択肢から「そうかもしれないね」と思える妖怪に出会うことと思いますし、この話を読んだすべての人が出会えたらいいなと感じる話です。(ちなみにこの本を読んだ2003年現在の私は「きゅう髯鮎子」に近く、「蒲衣子」とは離れています)

 「一概に考えることが悪いとは言えないのであって、考えない者の幸福は、船酔を知らぬ豚のようなものだが、ただ考える事について考えることだけは禁物である(略)」

 「渓流が流れて来て断崖の近く迄来ると、一度渦巻をまき、さて、それから瀑布となって落下する。悟浄よ。お前は今其の渦巻の一歩手前で、ためらっているのだな。一歩渦巻にまき込まれて了えば、奈落までは一息。その途中に思索や反省や低徊のひまはない。臆病な悟浄よ。お前は渦巻きつつ落ちて行く者共を恐れと憐れみとを以て眺めながら、自分も思い切って飛込もうか、どうしようかと躊躇しているのだな。遅かれ早かれ自分は谷底に落ちねばならぬとは十分に承知しているくせに、渦巻にまき込まれないからとて、決して幸福ではないことも承知しているくせに。それでもまだお前は、傍観者の地位に恋々として離れられないのか。物凄い生の渦巻の中で喘いでいる連中が、案外、はたで見る程不幸ではない(少くとも懐疑的な傍観者よりも何倍もしあわせだ)ということを、愚かな悟浄よお前は知らないのか。」